【批判するな?】最も適切な日本代表批評を考えるちゃ【もっと批判すべき?】

日本代表の試合後になるとよぉ、いっつも色々言われることやけど、オラが「最も適切な批評の仕方」についての見解を示すことにするちゃ。

目次

応援と批評は両立するちゃ

W杯とか特にそうやけどよぉ、毎回のように「頑張った選手を批判すんなま!応援せられ!」というのと「負けてボロクソに言うからこそ強くなる」みたいなことを、よく言われたりするもんやちゃね。

まーオラなんか結構長いことサッカー見てきとるもんからしたらよぉ、「まーた何かやっとるじゃー」と思ってよぉ、こういう日本のサッカーならではのデジャブ感を覚えてしまうがいど、みなさん飽きずにいつもやっとられるなーと思うがでよぉ、内心「あんたらダラやないけー」と思うもんやちゃね。

これは批評云々以前の日本語の問題ながいど、まず「応援」と「批評」は両立するもんながやね。

セルジオ越後さんが「頑張ったと慰めるのは勝つための評論ではない」とか言うがいど、慰めたところでよぉ、批評はしないのかというと、それは全く別の次元の話ながやね。たくさん慰めたからといって、試合自体の批評自体は、全く別の論理軸の話ながいちゃね。

「ドイツとスペインに勝利してベスト16は凄いちゃ。ほんじゃけど、試合運びに課題はあるちゃね」
「望外の結果が出て嬉しかったじゃ。でも、PKはもうちょっこしよくできんかったかのう?」
「結果を出せたのは素直にすごいし賞賛するちゃ。ただギャンブル感は否めんちゃね」

…このように考えていったら、労いも批評も両立するのが分かるちゃね。

要するにオラからしたら「応援か批評か」みたいな二元論になっとる人なんて、批評する以前の話で、その人自体が日本語ができていないもんかと思ってしまうちゃ。

乱暴な言葉遣いは避けるべきやちゃね

まー、いつも代表絡みになってしまうと、自分の思いが強くなりすぎてしまってよぉ、乱暴なこととか、明らかに人をバカにしたようなことをを言ってしまうような人ちゃ、結構見られたりするもんやちゃね。

具体例として、スポルティーバの杉山茂樹さんの記事やったり、YouTuberのレオザフットボールを取り上げたりしたがいど、これらはツイッターなどでは「リスペクトがない」と結構批判されとるがやね。

まーさっきもオラが書いたがやけど、賞賛ができなかったら、批評ができなくなるわけではないというのを考慮に入れたらよぉ、ねぎらいの言葉も一つもなくて、調子乗ったことをバヤバヤとゆっとるようやったら、そりゃ「リスペクトがない」など言われても仕方ないやろうなーと思うちゃ。

こちらの「きのこの山好き好きおねーさん」こと神崎ゆきさんのツイートから引っ張ってみると思うがやけど、やっぱし乱暴で過激な言動を繰り返すような人ちゃ、どうしてもライト層からは敬遠されがちで、凍結のリスクもあって、更には開示請求や訴訟のリスクもあるがで、本当に気をつけんなんことやと思うちゃ。

こういう過激な言動を繰り返す人ちゃ、やはり特定の支持層にだけ熱烈に支持されるだけであって、それ以外には白けた目で見られるようになってしまうし、ましてやサッカーの業界自体にも支障をきたすことも考えられるわけやちゃね。

そう考えるとよぉ、サッカー界における言語空間ちゃ、結構危うさが孕んでいると言えるちゃ。

ただ、人間は誰もが熱くなったりするもんやし、それに調子に乗ってしまうこともあるがでよぉ、つい自分を制御できずによぉ、ほとんど誹謗中傷としか言いようがないことを言ったりするもんやから、これはオラも気をつけんなんところでもあるちゃね。ましてや代表やそれぞれの選手に対して思い入れが強かったら、暴走することもあり得るがで、そこは各々で上手くブレーキをかけていくべきところでもあるちゃ。

丁寧に具体性をもたせんまいけ

ただよぉ、こういうつい過激なことを言ったり、人をバカにしたような感じで語ったりするような人ちゃ、自分の主張に具体性が欠けたもんになりがちやし、論理的にぶっ飛んでいることは多々あるもんやちゃね。

これは杉山茂樹さんとかレオザさんとかにも言えるがいど、こういう極端な言動に走ってしまうような人ちゃ、話していることや書いていることの具体性がなくて、説得力を保たせるだけの論理構成もきっちりできていないことが多かったりするちゃ。

こういうのはいくら「厳しい批評は力になる」とか言っとってもよぉ、力に変えていくほどの中身まで備わっているかと言ったら、実際疑わしいことはあるちゃね。過激な表現や感情によって、中身の薄さを補っている面もあると考えられるやろう。

きのこの山好き好きねーさんとは、オラの方向性は違うもんやけど、実際これは非常に参考になることが多いなーと感じることがあるやね。

どうしても乱暴な表現をしてしまったらよぉ、それだけで人は敬遠しがちなところはあるやろう。人はつい自分の主張を通したくて、感情論とか必要以上に誇張した表現に頼ったりしがちやけどよぉ、実際読んでみたら「怒っとるなー」というくらいであって、中身が何もないことは結構あったりするがやね。

そうするくらいならよぉ、やはり丁寧な言葉遣いにこだわってよぉ、頑張って自分の意見に具体性を保たせるように努力した方が、説得力はましてくるもんやちゃね。同じような発言をする人が多々おったとしても、丁寧に具体性を持った発言に努めていた方が、理知的でよぉ、深みがあってよぉ、もっと濃密な議論ができるようになるがで、結果的には良いもんやと言えるちゃね。

ただ、いくら丁寧な言葉でよぉ、頑張って具体的かつ論理的な批評に務めたところでよぉ、どうしても日本語を読み取れない人は一定数出てくるもんやから、そればっかしは諦めざるを得ないかなーと思うちゃね。日本語を読めない人以外には十分伝わるやろうから、一部変な人がおったとしても、気にすることないちゃー

要するに「どうしても日本語を読めない人はスルー」ということやちゃ。

多様な意見を楽しまんまいけ

最後によぉ、やっぱし大切なのは「多様な意見を楽しむ」というところに尽きるちゃね。

同じサッカーの試合を見ていてもよぉ、人それぞれの見方によっては、重要視している面は異なってくるもんやし、人それぞれの見方の違いを楽しんでいくだけの、心の余裕を持っているのが良いと思うちゃ。

日本代表に対しては、オラはそこまで強い思い入れがあるわけやないし、ガッツリ応援するようなスタンスでもなくて、肩の力を抜いて楽しむ…というスタンスであるがいど、同時によぉ、相当数の人が視聴しているこの機会というのは、あらゆる人から学んでいけるチャンスでもあるかと思うがやね。

オラなんかは、いっつもカターレ富山が中心やし、カターレ以外のサッカーはそんなに多く知っているわけでもないがで、こういうW杯の機会ちゃ、オラ自信のサッカー観を養っていける「学びの機会」であるしよぉ、来シーズン以降のカターレのレビューとかにも役に立てていけるのかなーと思って見ていたりするちゃ。

そう考えるとよぉ、ただ自分が日本代表の試合を見ていって、思ったことなどを発信するだけやなくてよぉ、逆に吸収していくくらいの姿勢ちゃ、常に意識していきたいと思うちゃ。

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