とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

スポーツが男女で別れる理由とか、社会学者に聞くよりも「天龍源一郎vs神取忍」を見た方が手っ取り早いちゃ

どこやらの社会学者がおもっしいことゆっとらっしゃるちゃね。

無茶なこと言ってますちゃね…

今回のテーマは「スポーツの男女平等」という話やけどよぉ、この記事では立命館大学産業社会学部の岡田桂教授が取材を受けとられるがやね。この内容を要約するとこんな感じやちゃ。

  • 体力測定は男子が有利になるもんしか測定しとらん
  • 歴史的にスポーツ自体が男性有利になるように成り立っとる
  • 男女で分けると「男性が上で女性が下」が固定化されるにか
  • 男女の特性が出ないようにルール変えれま
  • 男女差がつかないスポーツを作れま
  • 男のスポーツがある部は女性も同数にせーま

…こりゃえらいこと言っとるちゃね。

スポーツ自体は元々娯楽で有利不利は二の次やちゃ

まずこの大学教授さんの「スポーツの成り立ちは19世紀くらいのイギリス」とか言っとるがやけど、さすがに事実認識が甘すぎると言わざるを得ないやろう。スポーツの原型ちゃ、すでに古代ギリシャからレスリングやボクシングが確立されとるしよぉ、サッカーの原型となるスポーツは、18世紀以前からも行われていたと言えるがやね。

それによぉ、クリケットなどは17世紀に確立されてきとってよぉ、イギリスの上流階級の間では女性もやっていたという資料もあるちゃ。18世紀にはイギリスですでにクリケットは定着しとってよぉ、その後にオーストラリア、インド、西インド諸島などの大英帝国植民地に普及しとってよぉ、諸外国の上流階級などに伝わっていったもんやちゃ。

ほんじゃから「19世紀がー」というところで、スポーツには精通していないと言わざるを得ないちゃ。

19世紀のスポーツ云々の話になったら、どのスポーツに関しても、まず「身体を使った娯楽」というところが起点であるのは抑えておくべきところやろう。競い合っていく競技として成立していくのは、二の次三の次ながいちゃね。

「男性有利に作られた」など言っとんがやけど、実際は「それぞれのスポーツ自体が男女格差など想定していない」と言うのが正しいやろう。

男女に分けるのは自然やちゃ

ただよぉ、どのスポーツに関しても、やっぱし身体能力・運動能力がモノを言うものには変わりないのは事実やちゃね。サッカーやったら、ボール1つ蹴らせるだけでも、全然弾道が異なるもんやし、そもそも身体がぶつかり合ったら、骨格の差で男性が圧倒するのは目に見えるやろう。

サッカー、ラグビー、格闘技のように、身体同士がぶつかり合うスポーツやったら、もちろん男女を分けておかんと、フィジカルが劣る方が大怪我をしかねない状況になってしまうのは容易に想像できるちゃ。

それにテニス、バドミントン、クリケット、野球といった身体がぶつかり合わないスポーツに関してもよぉ、ラケットやバットで弾き飛ばしたボールの弾道があまりにも異なりすぎるがで、試合が成立しないのは容易に想像ができるちゃ。それに陸上競技に関しても、男女で筋肉量も違いすぎるがで、当然記録も変わってくるもんやちゃ。

そう考えたらよぉ、男女のカテゴリーを分ける必要があるちゃ。

分けておかんかったらよぉ、女性の活躍の場はなくなってしまうわけやし、それこそ男性ばっかしが圧倒してしまって、女性が入る隙間は全くなくなってしまうちゃ。

ダンス系、フィギュアスケート、アーティスティックスイミングなどは、男女の接触はなくて、体力差がないように書かれているがいど、それらのスポーツも両方見比べたら分かるように、競技内容も全く変わってくるもんやちゃ。フィギュアスケートなんて、女子で4回転を飛ぶ人はほとんどおらんがやけど、男子では結構多くの選手が飛んでいるように、競技も全く違うしのう。

そう考えたらよぉ、立命館大学の岡田桂教授は、スポーツに関して、非常に浅い部分でしか見ていないのかなーと感じざるを得ないちゃ。

例外的には乗馬やったり、eスポーツ辺りが、男女混合でも成立していくやろうけど、それはそれで分ける必要がないと考えていいところやろう。

ただよぉ「男女平等」を実現するために「男女差がつかないルールを作ろう」というのは、あまりにもラディカルな考え方やと言わざるを得ないちゃ。それをやるくらいなら男女を分ける方がいいやろう。

全部読んでみて思ったがいど、ジェンダー平等にあまりにもこだわりすぎてよぉ、陰謀論に走ってしまっとる人にしか見えてこんがやね。いい年した大人がここまで拗らせるもんではないちゃ。

天龍源一郎vs神取忍を見ればいいちゃ

スポーツを男女に分けるのを差別的に見ているような人ちゃ、実際多いがやけどよぉ、こういうような人には「なんでスポーツが男女に別れているのか?」をハッキリと分かるもんを見せつけるのがいいちゃね。

そこで登場するのが2000年7月2日に行われた「天龍源一郎vs神取忍」のシングルマッチやちゃね。

プロレスファンの間では伝説になっとる試合やちゃね。「ミスタープロレス」こと天龍源一郎によぉ、「ミスター女子プロレス」こと神取忍がシングルマッチで挑んだ試合やったがよ。

これ、リアルタイムで見ていたがでよく覚えとるがいど、女子プロレス最強である神取忍がよぉ、いとも簡単に天龍源一郎にボコボコにされてしまっとるがよ。性別の差がこれでもかと見せつけてくる試合ながでよぉ、本当に身震いするほど、ショッキングな試合やったじゃ。

この試合は、天竜に対してよぉ、神取忍が張り手を連発して、本気にさせようとしとったがやね。果敢な戦いっぷりに感化された天龍は、容赦なくチョップ、グーパンチ、ラリアット、キックと厳しく攻め立てたがよ。

そしたら、文字通り神取忍の顔は崩壊してしまって、えらいことになっとったがよ。そんでもガッツを見せる神取は、果敢に天龍にぶつかっていってよぉ、最後はグーパンチ一発で見事な負けっぷりを見せたわけやちゃ。

これ、本当にすごい試合やったじゃ。

何よりも神取の勇敢さが凄いがやけどよぉ、それに対して厳しい現実を見せつける天龍のプロ精神がまたかっこいいがやね…。結果、凄惨な状態になってしまったがいど、オラは「本当にすごいもんを見てしまった」と感動を覚えてしまったもんやちゃ。

神取忍はこの試合で男を上げたのう。さすが「ミスター女子プロレス」「女子プロレス最強の男」やちゃね。

性別を分けるべき理由が一発で分かるちゃ

ジェンダー系の社会学者がよぉ、いろいろ机上の空論を並べて、スポーツを男女で分けること自体を「男の都合だ」とか「女性蔑視だ」とかゆったところでよぉ、天龍源一郎vs神取忍の試合を見れば、どれほど無価値なものかと、まざまざと感じさせられるやろう。

実際にサッカーの試合でも2016年になでしこJAPANが、男子高校サッカーの静岡学園と対戦したがやけど、0-12で負けとんがやね。これを見ると、いくら女子サッカーで世界レベルを走っているとはゆっても、現実は厳しいもんで、高校生にすら歯が立たないのが現実やちゃ。

以前、イブラヒモビッチが言ってたがいど、女子サッカー自体にはリスペクトをしているがいど、ほんじゃからといって「俺と同じことやっとるわけやない」というようなことを言って一蹴しとんがやね。

こういうスポーツにおける男女格差は常に問題として吹き上がってくるもんやけど、実際のところ、イブラヒモビッチが言うのと同じで、女子選手がいくら結果を残したところでよぉ、男子と同じクオリティでプレーできているわけではない…というのは現実ながいちゃね。いくら女子サッカーの中でトップに立とうが、イブラヒモビッチのように、アクロバティックでパワフルなプレーをするような女子選手はおるがけ…という話になるしのう。

ほんじゃから、なでしこは世界で結果を出しても、男子高校生には歯が立たんわけやちゃ。

むしろよぉ、同じ種目でも男女を住み分けることによってよぉ、女性の活躍の場が与えられていると考えないといけないやろう。男女混ぜこぜでそのまんまプレーさせてしまったらよぉ、まず女性がスポーツで活躍する場がなくなってしまうのは容易に想像ができるちゃ。

神取忍がいくら女子プロレスの中で圧倒的でも、50過ぎた天龍には全く通用せんがやから、やはり「女性がプロレスで活躍する場を設ける」ためによぉ、女子プロレスは受け皿としていないといけないわけやちゃ。これは他のスポーツにも同じことながよ。

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