「Whataboutism」はJリーグ界隈で「浦和論法」と呼んでもいいけ?
先日に書いたオラの見解についてやけど、一部噛み付いていた人がおったがで、それについてちょっと思ったことを書いてみるちゃ。
目次
未だに方言に難癖つける人おるがやねえ…
こないだの記事に関しては、概ね好評でよぉ、当該浦和レッズのサポーターにも評価されていたがいちゃ。オラとしては、賛成やろうが、反対やろうが、「とれぱんムカつく!死ね!」であろうが、読んでいただける方々には、まず感謝するちゃ。
ただよぉ、オラに絡んできているアカウントにはこういうツイートをしとる人がおったがやね。
まあ、オラなんかTwitterが始まる以前から、HPとかブログとかやっとる人間やし、入善弁でちゃべちゃべ言っとるし、昔からずーっとこんな感じで変わらずやってきとるがで、こういうのは慣れとるちゃね。
ただ、オラとしては「人がちょっこし変わった言葉を喋っていようが、それはオラの自由であり、それが好きな人は絡んできてもらってもいいし、逆に嫌いな人は無理に絡んでこなくていい」というスタンスでおるがいど、こういうのを分からないのか、突っ込んでくる人がおるもんやのう。
そもそもこの記事自体が「オラの感想でしかない」わけやし、そもそも「読みにくい」というがなら、無理して読むこともないがいちゃね。それにオラの地元にとっては、これが「標準語」やしのう。結局「嫌なら読まんでいいがやぞ」で終了ながやね。
外国人が集まるバーや飲食店へ行って「日本語話せ」と言うくらい、頓珍漢な話ながやねえ。
方言に難癖をつける人の大半は「話題逸らし」
オラとしては、こういう方言に難癖をつけてくる人に関したらよぉ、一つのリトマス試験紙のようなもんとして利用していたりするちゃ。一定数は突っ込んでくるのは織り込み済みで考えとんがよ。
Twitterをはじめに、いろんなSNSで交流をしていたりするもんやけど、こんな語り口でもよぉ、ほとんどの人とはコミュニケーションを取ることは可能ながいちゃね。これはこれで違和感を抱いている人は多少はおるかもしれんがやけど、そんでもサッカーやそれ以外の界隈なども含めて、上手いこと交流させてもらっとるちゃ。
ただよぉ、本来話題にしとることとは全く関係ない流れで「方言が〜」と言ってくる人ちゃ、完全に話題を逸らしてきている人で、誠実に会話しようとする人ではないのは確かながいちゃ。
オラのブログ記事に何かムカつくことがあったかもしれんがですが、そういうのはただ「ムカつく」とか言ってればよくて、「方言が〜」と突っ込むのは「私は内容と関係ないところに難癖つける人です」と自己紹介しとるも同然ながやね。
そういうの自分の程度を下げるだけやから、多くの人はやらんがやけど、どうやら一部の浦和のサポーターはやってしまう人がおられるがやね…。これらの方々は「話を逸らしている」という自覚がないがでしょうか?
「お前もそうじゃないか」論
ただ、こういうのは浦和サポーターにはよく見られてよぉ、オラに対して「じゃあてめぇは方言が〜」というのと同じように、本来の相手の主張を貶めて、話題を逸らす手法を使う人は結構見られるがやね。
「声出し」が顕著ながいど、浦和サポーターの声出しが問題視されている頃によぉ、よく浦和のサポーターを名乗るアカウントが、「○○もやっていたやろ」と主張する人が結構見られたがやね。
オラが思うに、自分達への反省と今後の対策などを発言した上で、他のチームを言うのはまだ良いとしても、それをそっちのけで他に話題を逸らそうとする行為ちゃ、やはり自分が責任を取りたくないということながやと感じさせられるちゃ。
話題をそらす論法「Whataboutism」
こういう論法に関しては、欧米では「Whataboutism」として定着しとるがやね。
Whataboutism
Whataboutism(ホワットアバウティズム[、ワットアバウティズム、ワタバウティズム)は、論理的誤謬にあたる論法の一種。自身の言動が批判された際に、“What about...?”(英語で「じゃあ○○はどうなんだ?」の意)[1]というように、直接疑問に答えず、話題をそらすことを指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Whataboutism
冷戦時のソ連がこういう論法を多用していたらしくてよぉ、西欧諸国にソ連の人権抑圧を批判されたときに、ソ連が批判を逸らす目的として「そっちだって過去に奴隷制度があっただろう」と言い返したりしとったがやね。
別に言い返すこと自体を悪いわけではないがやけど、こういう論法で切り替えされてもよぉ、指摘された問題点が改善されるわけでもないがやね。相手が指摘する問題点に対して向き合おうとしないでよぉ、有耶無耶にしてしまおう…とするわけやちゃ。
いかにも責任逃れしたい人間が使う論法ながいちゃ。
話題逸らしは浦和の文化として根付いている
浦和のサポーターは、リスペクトや馴れ合いを望まず「煽り合い」を良しとするサッカー文化が根付いているらしくて、ライト層を集めたくてリスペクトを重んじるJリーグには対抗姿勢を見せることは多いがやけどよぉ、そういう背景を考慮したら、「話題を逸らしてでも相手を貶める」という詭弁が染み付いているのは、分からないでもないやろう。
オラはJリーグサポーターの間でよく言われている「サポーター論」みたいのはよくわからんがやけど、本来「言論空間」では、対面でもインターネット上でも、根本的には「話題を逸らす人は負けも同然」ながやけど、実際は話題逸らししてでも謝りたくない人達が多いちゃね。
これは数多くの問題行動を起こしても、自分にベクトルを向けないで「なんで俺たちばっかりなんだよ」と言うがやけど、なんどもそういったところを見ていると「浦和はそういうところながやね…」と呆れて見てしまうちゃ。
こないだは「ポエムは浦和の文化」など言ったがいど、それに加えて「話題逸らしは浦和の文化」とも言えるんやないかとオラは思ったじゃ。
要するに「浦和は謝ったら死ぬ文化」かもしれんちゃ。
「Whataboutism」は「浦和論法」として呼ばんまいけ?
2000万の罰金とか、こないだの清水エスパルスの浦和サポーターに対する告発文にしても、今回の横断幕に関してもそうやけど、やはり浦和レッズというクラブには「Whataboutism」が浸透していて、それが特有のコミュニケーションとして定着していると言わざるを得ないやろう。
浦和に向けられた批判に対してよぉ、自分達にベクトルを向けて反省したり対策を立てたり、自己総括をすることは徹底的に避けてよぉ、話を逸らすことで躱したり、批判内容自体を貶めて無効化させるのが、まさしく「We Are Reds」ながいちゃね。
もちろん自分達に向けられたベクトルを真摯に受け止めて、自己総括される方々はおるのは分かっているがいど、あまりにも「じゃあお前はどうなんだ?」みたいな話法が悪目立ちする以上は「浦和論法」として名付けておこうかと思うちゃ。
選手やフロントには「浦和を背負う責任」を求めるがやけど、サポーターは「絶対に責任を取りたくない」のが、まさしく「We Are Reds」ということになるがでしょう。
これが浦和のフットボール文化であり、浦和の論理ながですよね?

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