「ありがとう」を言われることがない人には、「ありがとう」と言えないことについてやちゃ

ハッと気づいたことがあるちゃ

ここ最近に、オラの生活が変わる出来事があったがで、そんなオラからしたら「ありがとう」という言葉は、本当にそういうように感じられるようになったがいちゃ。

本当に何気ないがやけど、今後は基本電車通勤の立場ながで、生活スタイル自体が「車中心」から「電車中心」に変わってしまったがやね。

いつもいつも車ばっかし使っていた立場からしたら、本当に楽になったと感じるばかりながよ。なんたって、車の運転に集中しないといけないわけでもないがやし、移動中に読書もアプリで勉強もできるがやし、アイドルマスターシャイニーカラーズはやれるし、なんなら多少寝てしまってもなんとかなったりするからのう。

まあ「電車ごときでありがとうはいらん」とか言う人もおったりするもんやけど、オラみたいに電車の生活になったもんからしちゃ、そりゃあ、あいの風とやま鉄道株式会社様には感謝しきれないもんやちゃね。

入善から富山までやと、車で1時間くらいは運転せんなんもんやし、街中になってきたらよぉ、それこそ交通量の多いところで、それだけ神経をすり減らして、常に注意しとかんなんからのう。

時間の使い方がよぉ、それこそ「車に奪われる」という状況から解放されたのが、今のオラの立場ながいちゃ。

インフラのありがたみを感じるようになってくるとよぉ、同時に電気や水道やガスなどにしても、そこで従事している人達がおるからこそ、快適に過ごせるのは本当に頭に入れておかんなんことやと、改めて感じさせられるがやね。

ましてや、こうやってインフラに関わって仕事をやる方々も、プロフェッショナルとしてやっとる以上は、敬意は持って接しないといけないやろう。

このツイートを見て思ったことやけど、オラは「自分のできんことには敬意を」と思うだけに、これが健常者であろうが障碍者であろうが、どっちにしても「ありがとう」というもんかと思うもんやから、こういうのは真逆やと感じさせられたのう。

誰かを気遣うために使う「ありがとう」という言葉が、苦痛やと思っとられる感じながやね。

東さんは「気遣うこともなく、すべての人がスムーズに利用できる公共交通機関であってほしい」とはおっしゃっているがいど、田んぼに囲まれたところに住んでいるオラからしちゃ、車を運転する負担も解消されるほど、公共交通機関が充実してりゃ、そりゃ「ありがとう」を言い尽くせないくらいになってしまうちゃね。

…まあ、この辺りは「ありがとう」でも意味は違ってくるのかもしれんちゃね。

今年に入ってからよぉ、簿記、料理、お絵かき、楽器、語学勉強などでいろんなことにチャレンジしとるがいど、こういうのを自分でやっていこうしたら、それだけの手間と労力がかかることが実感するもんやちゃね。

そうやって見ることでよぉ、どっかでご飯を食べるがにしても、やっぱし「ありがとう」とか言うもんやし、最近は漫画を読むことでさえ、感謝の気持ちが湧いてきたりするちゃね。

それに自分でお絵かきをすることによってよぉ、ただの気分転換でやっていただけのアイドルマスターシャイニーカラーズでも、新たなことにチャレンジさせてくれる活力にもなったりするがやし、なんか思いが変わってくるもんやちゃね…。

そういうことを思っていたらよぉ、与えられるだけの人間になってしまったり、自分が感謝されるようなことがない立場になってしまったら、「ありがとう」という言葉を使えなくなってしまうところはあるんやないかと感じたじゃ。

すごく考えさせられるちゃね。

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