【読書】田崎健太著「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」を読んだじゃ

最近よぉ、とある本を読み終えたじゃ。


横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか [ 田崎健太 ]
目次

10月29日ながでこれを紹介するちゃ

1999年10月29日によぉ、横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併が記事に出た日やちゃね。30年以上のJリーグの歴史においても、最も重要な日の一つやちゃ。

この日になって、当時の存続運動を行っていた横浜フリューゲルスのサポーター団体が立ち上げたクラブである横浜FCがこのようなポストをしていたじゃ。法的な観点では横浜FCは後継クラブやないがやけど、少なくともフリューゲルスの消滅がなければ、このクラブが存在していないのは確かながで、これはやはり重いポストやちゃ。

で、フリューゲルスに関しては、この本を触れないわけにはいかんちゃ。

創世記のドキュメンタリーやちゃ

田崎健太さんの書籍はよぉ、題名のように「横浜フリューゲルスの消滅」について扱った本やちゃ。

ただよぉ、1999年から10月29日からの約2ヶ月ちょっとに関しては、最後の3分の1くらいであって、内容としてはJリーグ創設以前の全日空サッカークラブから触れていて、フリューゲルスの消滅に関するところまでは、なかなか届かないからよぉ、やや冗長的な本かな~と思うのがオラの思うところやちゃ。

しかしよぉ、これはフリューゲルスだけを取り上げるというわけではなくて、やはり「どうしてJリーグが成り立ったのか?」とか「今のJリーグがどのように変わっていった」のかを見るうえでは、この書籍はかなりまとめられたもんでよぉ、本当に読み応えがあったじゃ。90年代のJリーグに関しては、今ほどJリーグの経営は透明化されているわけではなかっただけに、田崎健太さんの取材のきめ細やかさには感銘を受けるもんがあったじゃ。

ほんじゃからこそ、これはフリューゲルスの本というよりも「フリューゲルスから見るJリーグの歴史本」というのが、オラの思うところやちゃ。

90年代のスポーツビジネスの未熟さがわかるちゃ

そんでよぉ、読んでみてかなり強く感じるところは「スポーツビジネス自体が未熟」というところに尽きるやろう。

今どきのJリーグから比べたら、当時はフリューゲルスのみならず、他のチームもかなり雑なところが結構見えるがやね。創設された最初の2,3年ほどのブームの感覚から抜け出せなくてよぉ、経営規模とか集客状況とか関係なく、とにかく「有名な選手を獲得しよう」みたいなところが目立っていたのう。

ぶっちゃけると「放漫経営のオンパレード」であると言えるちゃ。

フリューゲルスの経営陣も、上層部とかはANAからの「天下り」みたいな感じになっとってよぉ、とにかく親会社からの資金に頼りっぱなしやったのが見えるし、いろいろ緩い感じやったのが、田崎健太さんの著書では結構見られるがやね。良い言い方をすれば「家族的」やけど、プロとしてのシビアさはやや欠けているようなところはあったと言えるちゃ。

あと、消滅の前にあった、前園真聖の欧州移籍に関するアレコレもあったがやけど、当時としては今ほど国外への移籍に関しての手法は確立しとらんかったし、選手個人もまた調子に乗っているところがあったりと、経営陣も選手個人も「プロ意識」というものを考えさせられるもんがあったじゃ。

後にフリューゲルスは佐藤工業の撤退を機会によぉ、全日空スポーツが持続性を模索することもなく、横浜マリノスと合併を秘密裏で決めてしまうわけやけど、その当時に現役日本代表どころか、1998年のW杯の決勝を戦ったセザール・サンパイオが所属していたりでよぉ、とにかく「お前さんたち、自分たちの経営規模を無視した人員になっとるがですけど…」みたいになっとったがやね。田崎健太さんも「サンパイオ売っていたら…」というのを書いているわけやけど、当時の全日空スポーツの経営者には、そういう想像が働かなかったのやろうなあ…というのが読み取れるちゃ。

客集めにしても、当時のスポンサーであるバンダイに掛け合って「たまごっちを配れば来るやろう」みたいな安直な感じでもやっとったし、マーケティングも非常に雑なことしとったなーと思うわけやちゃ。

全日空スポーツはサポーターの顔を見てなかった

田崎健太さんの構成が非常に上手いなーと思ったところやけど、フリューゲルスの消滅発表までの流れでよぉ、クラブを支えているサポーターの姿が見えないような内容になっとんがやね。

これは田崎さんの演出なのかなーと思うところやけど、読んでみて思うのは、やはり「全日空スポーツの経営者にはサポーターの顔が見えてなかった」というのが大きく感じられるちゃ。

フリューゲルスの消滅に触れたところから、サポーター団体の人間がちょこちょこと登場してきているわけやけどよぉ、ここからサポーターが大切にしとるところがくっきりと見えてくるわけやちゃ。

クラブの経営陣は、そのクラブをどう維持していくのかはあんまし本腰を上げているとは言い難かったし、そもそも「ANAからの天下りで権限もない」みたいな感じで、重役についている割にはフリューゲルスのことは他人事…みたいな感じで描かれているわけやけど、フリューゲルスサポーターはクラブへの純粋な愛を抱いているのを描かれていたのう。

特に「別にANAはいなくなってもいいから、フリューゲルスは残してくれ」というのが象徴的やと言えるやろう。

経営陣からしたら、横浜フリューゲルスという名前で企業名がついていないがやけど、チームは「会社のブランド」みたいな感じやったのか、経営規模を度外視した選手が所属しとったりで、あんましフリューゲルスという「サッカークラブ」としての愛着が薄いのは否めないところやけど、サポーターはそうやない感じながやね。

だからこそ「J2に落ちてもついていく」というスタンスで描かれていたわけやし、その後に横浜FC設立に繋がるように「企業に頼らなくても自立するようなクラブ」というのを視野にあったのが描かれていたのう。

ただ、「人件費削減」「規模縮小」「クラブ売却」といった、現代のフットボールビジネスでは当たり前になっとることをよぉ、全日空スポーツには頭にはなかったがやね。だから「合併」というのが見えたのう。

クラブの周りの人物による取材内容を見るからには、「合併」というのは、全日空のブランドを傷つけないのが優先された決断やったのがオラには感じさせられるもんやちゃ。

クラブの消滅というのは、今まで応援してきて、無償の愛を捧げてきたサポーターだけやなくて、所属チームを失ってしまう選手達、そしてクラブに働いていた職員さん達も犠牲になる出来事ながやけど、そこを全日空スポーツが軽く見ていた…というのは、この著書で見られるもんやちゃ。

端的に言えば、ANAから見たらフリューゲルスとは「自分の持ち物であり企業の部活に過ぎない」みたいな感じながで、ファンや選手などの関わる人物のことをなんとも思わないで、企業の論理で潰して良いものだと思っていたがやろうねー…と思ったもんやちゃ。

時代が時代ながで、まあ仕方ない要素はあると思うがやけど、つくづく「ANAは無能だった」というのは、オラには感じられたじゃ。

おまけ

この著書が出てから、割と早い時期によぉ、ANA総合研究所がレポートを発表していたのう。

Researcher Report J リーグは誰のものか 【要旨】 <目次>

オラが思うに「よっぽど田崎健太さんの著書が効いたのかなー」と思うところやけど、フリューゲルスの件について掘られたことについては、ANAとしても自分たちの責任だと思っていなくて、Jリーグに責任転嫁していると思わざるを得なかったところやちゃ。

レポートで書かれているように多くのJリーグクラブはよぉ、大きな企業によって支えられている部分が大きいのは間違いないやろう。ただ、2000年代以降のJリーグは、J2が創設されてよぉ、規模の小さいクラブがあらゆる手法を考案して成長していっとるだけに、大企業にだけ依存しなければいけない状況から脱却できていると言えるちゃ。

だから、このレポートを書いた廣岡さんという方はねえ、オラから見たら「時が半世紀止まっている人」でしか思えんかったじゃ。

これはJリーグの歴史をある程度理解している方には分かることやし、仮に知らない方であっても、ChatGPTやGeminiなどといったAIに聞いてみたり、図書館等であらゆる書籍を読めば把握できることやろう。

あと、カターレ関連では、ちょこっと安達亮監督の名前が出てきとるちゃね。まあ、安達さんのお父さんはJリーグ創設時では有力の指導者の1人やったから、こういうところを見ていると、カターレの関係者もJリーグの歴史の一部ながやと感じさせられたじゃ。

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この記事を書いた人

とれぱん先生のアバター とれぱん先生 ブログ管理人

富山県の入善町に在住やちゃ。
2019年までプレーしていたハンガリー代表GKガボール・キラーイを応援しとったがいちゃ。今は地元のJリーグチーム、カターレ富山を中心に、いろんなスポーツを見とんがよ。バレーボール(KUROBEアクアフェアリーズ)、ハンドボール(アランマーレ富山)なども応援しとって、最近はクリケットもチェックしとるちゃ。料理、ギター、イラスト、温泉・サウナめぐりなども好きやちゃ。やわやわと頼んますちゃー

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