葛西紀明選手に「老害」と呼ぶ人は、小学生の国語からやり直した方がいいちゃ

平昌五輪終わったじゃ。

オラは夏よりも冬の五輪の方が好きで、普段見慣れないノルディックスキーやったり、アルペンスキーやったり、ボブスレーやリュージュなどのそり競技とか、いろんなもんを見られて楽しいと思うがいちゃ。日本人の誰がメダル取ったとか、そういうのはあんまし関係なくて、こういうときにそれぞれのウィンタースポーツのシーンをいろいろ知ることができるがいちゃ。

目次

メダル乞食をやめて、世界のシーンを楽しまんまいけ


男子のスキージャンプはメダル無しで前回に比べたら厳しい結果になってしまったがいちゃね。

今時の世界のスキージャンプシーンを把握しとるわけやないがで、はっきりしたことは分からんがやけど、日本がメダルを取れないのは、妥当な結果と言えるかもしれんちゃね。世界のランキングとかも見たがやけど、日本勢で上位に割って入っていく選手ちゃ、なかなかおらんがで、10位~30位以下とかそれぐらいになってくるがで、それを元にしたら、メダル取れたらラッキーぐらいの感じで楽しむのが一番いいがかもしれんちゃね。

女子は高梨沙羅選手がノーマルヒルで銅メダルを獲得したがいど、これは上位二人のノルウェーのマーレン・ルンビ選手、ドイツのカタリナ・アルトハウス選手の現在の2強が素晴らしかったのう。ジャンプ週間を始めによぉ、スポーツとしての地位が高くて人気がある欧州の本場と比べたらよぉ、五輪くらいにしか注目されないレベルの日本と比較したら、環境面やら選手層やらで大きく違ってくるのは当然やと感じてしまうちゃね。

大会前に高梨沙羅さんが、2000万円のベンツに乗って、化粧もしとることで、えらい批判しとるもんがおったがいど、そもそもの話、業界そのものがそれだけのカネとか動くのが本場ながで、トップの選手が稼いどらんかったら、業界自体が盛り上がっていかんもんやちゃねえ。2000年代以降からよぉ、拓銀、雪印とか、ノルディックスキーの部活があったとこは無くなってしまって、トップ選手ですら移籍せざるを得なくなって、支援体制も年々弱くなっとる日本とか、ジャンプの業界でカネが回っとる世界と差が開くのは、当然としか言えんちゃね。

そんなとこで批判しとる暇があるがなら、もっとジャンプ競技そのものを勉強して、競技側面から論理的に批判しましょうとしか言えんもんやちゃね。

常識を打ち破った葛西紀明選手に、ありふれた常識で測る人の方が老害

45歳の葛西紀明選手がよぉ、次の北京五輪を目指すことで、賛否両論が出とるちゃね。それも「老害」とか「若手に譲れ」とか、よぉ好き勝手に言えると思うもんやちゃ。

ただよぉ、アスリートちゃ、そんじゃそこらの一般人とかと違って、相当なトレーニングを積んできとってよぉ、パッと見やとそうは感じんがやけど、実際に見ると、身体つきが明らかに違っとったりするもんやちゃね。

サッカー見てても思うことやけど、年々トレーニングや栄養とかも進化してきとることもあってか、半世紀前の20代の選手と、今の20代の選手ちゃ、身体の厚みが全然違っとることがあるちゃね。つまりよぉ、何も鍛えていないような一般人と、五輪とかに出場しているアスリートやと、数十年も前に見たくらいの時期に比べりゃ、相当な差が出て当然と言えるやろう。

スキージャンプのようによぉ、全身のバネを要する競技やと、跳躍力が衰えるのが早くてよぉ、30歳に差し掛かってきたら、多くの選手が引退すると言われとるちゃ。長野五輪のラージヒル団体の金メダルメンバーの斉藤浩哉さんも33歳、リレハンメル五輪の銀メダルメンバーの西方仁也さんも32歳で引退されとるし、同世代のライバルで90~00年代を盛り上げたオーストリアのアンドレアス・ビドヘルツル選手が30歳、2000年度を代表するジャンパーでポーランドの英雄、アダム・マリシュ選手も32歳で引退されとるがやね。ジャンプの世界ちゃ、本来30~35歳くらいまでが選手寿命やったがやね。

その世界においてよぉ、ワールドカップで戦っていくような選手であるときゃ、身体はしっかり作っていかんならんわけやし、技術も磨いていかんならんがよ。そんでもって重要なのちゃ、細々としたスキー板の規定の変更やったり、ユニフォームの素材とかの変更もあったりと、結構細かい所の変更も多くて、それに適応できん選手ちゃ、日本も海外も含めて、引退されていく選手が多かったがいちゃ。

葛西さんも2002年のソルトレーク五輪やと、ノーマルヒルで49位、ラージヒルで41位と不振やったし、ラージヒルの団体メンバーにも選ばれんかったがやけど、そこからあらゆるものを覆して、前回のソチ五輪で銀メダルに輝いとるがいちゃ。

どんな競技者にも言えると思うがやけど、現役で選手を続ける以上は、身体が衰えたとしてもよぉ、ルール変更があったとしてもよぉ、限界を乗り越えていこうとするようなもんであるちゃね。それを成し遂げたら、競技の限界とされた年齢とかも乗り越えていったりすることもできるちゃ。そのために練習方法を変えてみたり、フォームを開発したり、体重をコントロールしたりするもんながよ。


その結果、ジャンプのキャリアちゃ、30~35歳までと言われていたもんが、45歳になった今でもスキージャンプ・ワールドカップのツアーに参加できて、昨シーズンは表彰台にも登っとって、17位の成績を収めているわけやちゃ。あらゆる逆境を覆して、世界で戦っていける選手になっとるがやから、結果論で考えたら、土屋ホームのスキージャンプ部の選手兼監督になった、2009年くらいから、本来のキャリアである約10年分はやれているということなんがで、結果論で言えば、36歳の若手選手やった…というように考えられるもんやと思うがいちゃ。

つまり、限界を超えて新しいものを作っていくのがアスリートでもあるがで、人の限界を勝手に決めてしまって「老害」とか「引退してしまえ」とか言う方が、新しい常識に対応できない「老害」になるがいちゃ。

葛西さんに「老害」という言葉を使うもんは、小学生から国語をやり直すべきやのう。

若手が育たないのちゃ、環境の問題が大きいがやないが?

葛西さんが代表に選ばれるのちゃ、それこそワールドカップで活躍する選手で、昨シーズンも何度も表彰状に立っている、実力者だからというのは、ちょっこしスキージャンプのことをネットなりで調べてみれば分かることやろう。

そんな葛西さんを五輪に出るなと言うがなら、葛西さんを乗り越えていける実力者を何人も排出していく必要はあるやろう。同年代も長野五輪のラージヒル団体金メダルメンバーの船木和喜選手が現役で、ちょっこし前までは岡部孝信さんも現役やったわけがやけど、彼等は若い世代との競争で飛べなかったがであって、葛西さんに関しては、まだまだ競争力がある選手というだけに過ぎんちゃ。

ただ、単純にそういった選手を輩出していく場合にはどうしてきゃいいかと言ったら、単純に「人材発掘」とか「選手育成」とか必要になるしよぉ、もっと踏み込んだとこにいけば「科学トレーニング」とか、新しいものを取り入れていく必要があるちゃね。

そう考えていったら、やっぱしカネが大切になってくるがよ。

 

長野五輪のラージヒル金メダリストで、スキージャンプ・ワールドカップで日本人最高の2位の船木和喜さんちゃ、今も現役のジャンパーやけど、今は卸売業を立ち上げてよぉ、物産展などで餃子、コロッケ、ドーナツとか、地元余市町のリンゴを使ったのアップルパイを売ったりしながら、その売上でスキージャンプの運営や活動に充とるがやね。金メダリストが百貨店で働きながらカネ稼いでいるのちゃ、随分苦労されとると思うがやけど、逆にそれだけ偉大な方が、こういう状況になっとるのちゃ、いろいろ考えさせられるものがあるがよ。

女子はワールドカップ50勝以上しとる高梨沙羅さんちゃ、スポンサーにメルセデス・ベンツや資生堂がついとることもあって、2000万のベンツに化粧をしとられるがやけど、実際にトップの選手ちゃ、それぐらいカネが動いとらんと話にならんちゃ。まだまだ歴史が浅くて、競技人口も少ない女子に関しちゃ、トップクラスの選手ちゃ、贅沢なことすることによって、「稼げる」とか思わせておかんと、才能に溢れた選手をジャンプに選ばせることちゃ、なかなか難しくなっていくもんやろう。

ましてやそういう実力者が怪我とかしてワールドカップに欠場したらよぉ、大会も見どころが無くなったりとお客さんに残念な思いをさせることになるがで、頑丈なベンツを…ということにはなるちゃね。トップアスリートこそ、そんだけ守られんとダメながいちゃ。

対価を払わない「感動」ちゃ、所詮「口だけ」やちゃ

長野五輪から、ちょっこし振り返ろうと思うちゃ。

当時の長野五輪ちゃ、スキージャンプの日本勢が、船木和喜選手がラージヒル金、原田雅彦選手がラージヒル銅、ラージヒル団体が日本は金メダルと、日本は感動の渦に包まれたがやし、あの時の興奮ちゃ、オラも覚えとるちゃ。

ただよぉ、長野五輪終わった後の冬のスポーツちゃ、様々な出来事もあったがで、多くのスポーツで低迷したがやね。活躍したのちゃ、元々人気があって、冬の風物詩として定着されとったフィギュアスケートとか、国民的なスター選手やった上村愛子選手のモーグルとか、一部のスポーツだけが注目されるくらいで、他のスポーツちゃ、五輪だけ盛り上がる…みたいな感じやったがよ。

そう考えてったら、レギュレーション変更とか、企業の廃部や倒産とか、ウィンタースポーツ最大の支援企業である雪印の不祥事による規模縮小とか、苦労することばっかしながやね。


どうしてもルール変更などで遅れが取ることがあって、競技者自身だけでどうにもならんような苦境に立たされたときこそ、周りの人ちゃ、背中を押して応援してやらんなんもんかとオラは思うがやけど、正直スキージャンプの功績とかを考慮に入れたら、日本の国民のみなさんちゃ、長野五輪の盛り上がりのためにウインタースポーツを利用しただけの「使い捨て」…に思えるがやね。

熱心なファンが多くて、でかいとカネも動いとるような本場の北欧やドイツやオーストリアに比べて、特定の企業に頼って戦っとる日本ちゃ、そんだけでも凄いがやと思うちゃ。メダルを求めるがなら、その本場の国々に負けないくらいの投資をしていくのは、当たり前のことやと言えるやろう。そもそも批判できるのは投資した人だけ…と言えるがやね。

夏冬問わず、いろんなスポーツでメダリストを輩出しとる日本やけど、その人達の競技環境がよくなったとか、メダリストの待遇が良くなったというのちゃ、日本はあんまし無い国ながやね。「感動した」とか言う割には、1円も投資するわけやないがで、結局のところ「口だけ」に過ぎんがよ。

五輪は各種目にとって、プロモーションイベントに過ぎんちゃ


スポーツには適切な場所で行われてこそ、ハイレベルな試合を見られるのは、当たり前やちゃね。冬のスポーツはそれが特に言えて、大会が行われる会場にしたって、何度も繰り返して開催されることによってよぉ、安全なコース作り、運営のノウハウなど、いろんなものが蓄積される中で開催されるがよ。

そう考えていったら、平昌五輪はそういったインフラに関しちゃ、ほとんどが突貫工事みたいなもんで、継続的に開催していかれるものでもないかと思うちゃね。ジャンプにしても、気温やイレギュラーな風に関しちゃ、ノウハウがない平昌やと、致し方ないとこかと感じられるがやね。結局、五輪のためにでかいとお金使って、それっぽい会場を作ったとこで、「最高の環境」とか、まず保証されるわけではないがよ。

ただ、五輪のメリットちゃ、短期間でいろんな競技が行われるとこながで、興味があるものを選りすぐりに観戦できるとこが、お客さん目線からのメリットと言えるやろう。各種目別の大会やと、お客はその競技に興味がある人がほとんどになるがいど、五輪だと比較的ライトな人が入っていけるがやね。

要するに五輪ちゃ、間口を広げるには利用できるイベント…ということになるがよ。

そこに競技における世界最高峰の舞台とか、国の威信とか、メダルの数とか、態度とか服装とか、いろいろ言うもんはおるがいど、それはその人の五輪への勝手な思い込みに過ぎんとしか、オラには思えんがいちゃ。有りもしない虚構やけど、それが沢山の人が思い込んでいるから、なんとなく「メダルが~」みたいな空気になっているだけやろう。

ただ、日本で毎年開催されとる国民体育大会が、世界規模にしたら五輪…ということだけながやね。国体にJリーガーが出てこないように、五輪にプロが出てこなくても当然ちゃ、当然ながよ。

そう考えていったら、継続的に各競技が栄えていくように、五輪をきっかけに興味を持った人をよぉ、長く見てもらえるようにしてもらわないといけんがやね。五輪がスポーツを利用するような「使い捨て」やなくて、スポーツが五輪を利用するもんであろう。

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