女性が家事をやる表現を見てキレるフェミニストさん達は不幸ながかのう?

昨日のブログを書いてて、ちょっこし気になったことを書くちゃ。

家事をする女性の表現は嫌がられるちゃね

ATSUGIの件の続きでちょっこし書いとったがやけど、Twitterでは女性に関する表現に関してはデリゲートながやね。特に炎上しやすいのは、家事とかお母さんに関する表現がシビアやちゃね。例えばこんな感じやちゃ

人工知能学会の表紙

マルちゃん正麺

ご飯のパッケージ

お母さん食堂

生協

まあこんな感じやちゃね。本当にシビアながいちゃ。

これが批判される理由といっちゃ、「家事をするのは女性」というジェンダーバイアスがかかることが上げられるがいちゃね。

家事に関しては、それぞれの家庭がどう判断されるかがすべてやと思うがやけど、オラとしては、家事をやること自体はよぉ、女性だけに任せるもんやなくて、男性も一緒に参加するものであった方がいいという考えには変わらんかったりするちゃね。

ただ、この手の話題が上がっているときにいつも思うことは、批判者が「ヒステリックに表現に噛みつくばかりで、実際にどうやったら解決に進むのか指針が見えない」と思ってしまったりするもんやちゃ。

料理が苦痛なんて不幸やちゃね…

「お母さん食堂」の署名活動のときによぉ、「料理=女性の役割」みたいなジェンダーバイアスを無くしていこう…という話になっとったがいど、この運動とかよぉ、署名活動を推進していく側の意見を見てて思ったことあるがやね。

うわ…なんて不幸な人達ながよ…。

普段から料理しとるオラからしたらよぉ、「押し付けられている」とか「ジェンダーバイアス」とか言っている人達ちゃ、なんか不幸に見えてくるがいちゃね。

理由は簡単やちゃね

料理は楽しむもの

理由はこの1点に尽きるがいちゃね。オラは最近は地元入善のイベントで出店したり、過去には朝市やテイクアウトイベントとかでも料理をしたこともあって、いろいろやってたりするがいど、そんなオラからすると、料理するのが本当に楽しくて楽しくてたまらんかったりするがいちゃ。

詳しいことは、カテゴリーの「とれぱんクッキング」を見てもらえばいいがやけど、インドカレー、トルコ料理を中心によぉ、世界や日本のいろんな料理にチャレンジしとんがやけど、ここ3年ぐらいやり続けても、まだまだ探究心が衰えることがなかったりするもんやちゃね。

そしてよぉ、料理して何よりも嬉しいのちゃ、自分の作ったものをいろんな人に食べてもらってよぉ、「美味しかった」「面白いね」「○○した方がいいかも」みたいに言われたときやちゃね。

そんなオラからしたら「料理は好きでやる」もんながいちゃ。

イラストとかプロモーションとかで、女性が料理をするような表現が出てきたら、結構炎上騒ぎになったりするもんやけど、そういうのでカーっと来てしまうような人ちゃ、料理するのが本当に苦痛ながやろう…と感じるちゃね。

楽しんでやっとるもんからしたら、本当に不幸な人にしか見えんがいちゃ。

家事一つで可能性は山程あるちゃ

料理に関してはよぉ、3年間は続けてやってきとるがやけど、無限大に広がりがあるもんで、ずーっと続けていても飽きが来ることがないことやちゃね。

図書館からはたくさんレシピ本を借りてきては、家で作ってみたりよぉ、YoutubeやGoogleで外国語のレシピを引っ張ってきたりよぉ、変わった食材をインターネットで買っていろいろ試したりよぉ、様々な調理器具や調理法を試したりしたりよぉ、それに自分のできることをどんどん増やしていったりして成長に繋げたりとか、本当に料理一つでも可能性は無限大やと思うがいちゃ。

3年前くらいにモタモタしながら調理しとったときとか、オラ自身が出店するまでとか全く描いてもいなかったもんやけど、実際人間は行動に移してやろうと思ってたら、案外できるようになるもんやと実感を覚えたがやね。

家事からエンパワメント起こす人いるちゃね

そんでよぉ、オラが料理するようになって思ったことはよぉ、突き詰めれば突き詰めようとするほど、自分自身の可能性を広げることができる…ということやちゃね。

図書館に通っては、料理本をたくさん借りてくるがいど、こういうレシピ本をたくさん出版されている方々ちゃ、たくさんおられるがいちゃ。

カレー関連では実際にレシピ本を出されている方と知り合いが一人おられるがいど、その人はすごく楽しそうにやっとらっしゃって、レシピ本の他に、イベントを開いて料理教室やったり、一時的に留守番として変わった料理を提供されたり、飲食店のコンサルタント業務をやっとったりと、好きなことで仕事をされとるがいちゃ。時々インドにまで出張されることもあるちゃね。

つまり、料理一つでよぉ、自分で事業を広げていけるくらいの可能性があってよぉ、まさに「好きなことで仕事ができる」ようになっていくもんやちゃね。

そんでよぉ、このレシピ本を図書館で借りてきて思うことは、やっぱし著者の方々は、かなりの割合で女性が多いがいちゃね。

普段から料理をしてきている方々ちゃ、ずーっと積み重ねがあるもんやから、そっからあらゆる料理に挑戦していったり、研究を深めていったりしていってよぉ、たくさんの本を出版されとるがやけど、好きなことをとことん突き詰めて仕事にしとる様ちゃ、オラにとってはよぉ、憧れの存在ながいちゃね。

レシピ本の著者やったり、Youtubeの料理動画やったり、多くの女性がどんどん進出していって、新しい価値を提供している様を見ていると、まさに「料理を軸とした女性の社会進出」と言えるやろう。

フェミニストは不幸?

こうやってよぉ、いろいろ書いてみて思うことちゃ、やはり料理に限らず、日常のあらゆる物事からでも、自分の稼ぎに繋がるようなことはできるもんやし、自分の可能性を広げていかれるもんやと感じるちゃ。

そういうように考えたらよぉ、女性が料理をしているところを描かれたことでよぉ、えらいブチ切れたりしとるようなフェミニストの方々ちゃ、すごく可哀想な人達に見えるがいちゃ。

「女性がご飯を作ることが前提」というのをすごく嫌っている人達がおるがいど、そういう方々にとっちゃ、ご飯を作ること自体が、ちっとも楽しくないのかと思ってしまうがで、オラみたいに「料理が楽しくて楽しくてたまらない」みたいのあ人間からしたら、惨めな存在に見えてくるがいちゃ。

女性が料理する表現に抗議したところで、あなたは何か幸せになったがですか?

何かに噛み付いたりして、ワーワー喚き散らすようなことをしとったって、何も成長しないし、不幸な人間は不幸のままながやね。

そんなことよりもよぉ、ちょっとしたことでもよぉ、自分の可能性なんて広げられるもんやし、もちろん料理とか家事を軸としながら、女性自身がもっともっと社会へ進出していけることが可能なことながいちゃね。

要はちょっとしたことでもよぉ、自分自身の可能性を広げられるのちゃ、自分自身次第ながやと言えるやろう。

そう考えたら、まずは短絡的に「女性が家事をやるというジェンダーバイアスは許せない」という以前に、自分のやっているようなことから、もっと可能性をひげていけるような思考を働かせるのが大切かと改めて感じるちゃ。

結局、否定が前提としている人々ちゃ、不幸な存在としか言いようがないがです。

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