「永平寺の精進料理」を読んだじゃ

最近は様々な料理にチャレンジしとって、こないだは山芋を使ってよぉ、精進料理の「かまぼこもどき」を作ったがで、図書館で精進料理の本を借りてきたがいちゃ。

内容的には半分が「調理の精神」とか「作法」とかが書かれとるがいど、後半くらいは「家庭で作れる精進料理」という内容になっとっちゃ。

精進料理と言えば、どうしても「修業」というイメージが強くてよぉ、どうしてもお硬い感じがするもんやけど、この本を見ていると、限られた食材の中でも「美味しく」「美しく」というのが、ハッキリ出ているがで、かたーいイメージを持っている人にとっては、印象が変わるんやないかと思うちゃ。

基本的な心構えとしては、こういうのがあるちゃね。

「喜心」
自分が今こうして典座の役割をいただき、料理を作ることができる喜びを感じる…ということやちゃ。坊さんは「お経を読む」ことをかっこいいと思うところはあって、料理は裏方仕事…というイメージがあるらしいがやけど、与えられた食材で、いかに良い料理を作ることができるのか工夫してよぉ、自分が作った料理を食べてもらう人の笑顔を思い浮かべながら、努力せられ。そしたらよぉ、「自然とここで調理というありがたい役割をいただいた喜心」が生まれるということながやと。

「老心」
相手の身になって調理をすることやちゃ。どうしたらもっとおいしくなるやろうか?どいがにしたら見栄え良く仕上がるもんやろうか?どう盛り付けたら食べやすいか?…ということをよぉ、追求する工夫こそ精進ながやと言えるちゃ。

「大心」
ささいなことで心惑わされんと、初心を忘れることもなくよぉ、常に向上心を持って料理に取り組む…ということやちゃね。気が向いたときだけ丁寧にしたり、良い材料のときだけ張り切って料理するようじゃ、駄目ながいちゃ。

あと、五観の偈もいいちゃね。

「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」
この料理を作られるまでにかけられた多くの手間と労力を考えんまいけ?

「二つには己が徳行の全欠と忖って供に応ず
自分はこの食事を食べるに値する正しい行いをしているやろうか?

「三つには心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす」
むさぼり、いかり、おろかさなどの欲の赴くままによぉ、食べたらダメやちゃ

「四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり」
美味を楽しむために食べるがやなくて
身体が痩せ衰えるのを防ぐための薬としてありがたく食べられ

「五つには成道の為の故に今この食を受く」
仏道を成就するということの願いを持ってよぉ、尊い食事をせられ…

こういう精神性を元によぉ、作られるのが精進料理…ということやちゃね。調理するのも食事をするのも修行という根底があるちゃ。食べるときも「タクワンを食べるときでも咀嚼音を出すなま」という厳しさもあったりするがいど、そういう精神性が精進料理を育んできたもんかと思うちゃ。

ということで一部だけ紹介するちゃ

季節によって、食事も色彩も変わっていくのがいいちゃね。どれを見ても美味そうながよ。あと「残り物を活用」というところは、やはり精進料理の面白いところやのう。大根の皮を桂剥きするのも、その皮を利用するため…と考えりゃ、やっぱし合理的なものやちゃ。

図書館とかに置いてあったりするもんやし、是非手にとって読んでみられ。

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