「娘の友達」は現代アートになりうる漫画やちゃ

どうも。最近「現代アートソムリエ」という肩書をもらうことになった、入善町在住のとれぱん先生やちゃ。これからは「現代アートソムリエ」こととれぱん先生としてよろしくお願いしますちゃ。

ということで最近話題になっとる「娘の友達」という漫画のレビューをするちゃね。

目次

おじさんと女子高生の恋愛話やちゃね

どういう漫画かといったら、自分の娘を持ち、会社で係長を務めている主人公の中年男性・市川晃介が、会社内でのストレスと重圧、妻が死別しとることや、娘が不登校などで憔悴しとるとこで、喫茶店で会った娘の女子高生・如月古都との恋愛関係を描かれる漫画やちゃ。

https://twitter.com/hgwrasm/status/1193142996079788033

なんせこの漫画読んでって思うことはよぉ、「この女子高生何者ながよ??」ということながやね。中年男性の心理描写はしっかり描かれとる反面、ヒロインの古都は本当に何を考えとるのか分からんがいちゃ。

作中は最初は行きつけのカフェでの出会いからやったがいど、仕事のプレッシャーから逃げ出したくなった主人公を逃避行に誘ってはキスしたり、2巻やと二人でホテルに行くとか、まあ結構性的な描写もあって、まあ本当に危ういちゃ。恋愛対象として中年男性をみとるのか、また別の理由があらーか、そいとこが本当にわからんがよ。ただただ中年男性の心の隙間にどんどん入り込んでいって、中年男性がどんどん惹かれていってしまうがいちゃ。

「ホラー」「サスペンス」と言われとるがいど、確かにそうやろう。正直「相手が女子高生やなかったら普通の恋愛話」といったとこやろうけど、付き合ってしまったら社会的に終わってしまうがいど、これはページを開くごとに重くのしかかってくるがで、正直おっかない漫画には違いないちゃ。

現代アートの定義

ということで、最近見つけた現代美術家の新宅睦仁さんのブログで、以前「宇崎ちゃんの献血ポスターは現代アートになりうる」と書かれたことが印象に残っとったがで、「娘の友達」も言えるのかな…と感じたがいちゃ。詳しいことはこちらのブログを読んでいただきたいとこやけど、定義は3つあるがやと。

・現代の状況に対する反応であること
・批評性を持っていること
・一定以上のクオリティがあること

「何がアートか?」と言っちゃ、それは難しいことやけど、現代アートの大切なところちゃ、見せ方やといわれるところやちゃね。これは入善の発電所美術館でも数々個展が開催されとって、そこで展示される作品にしてもそうながいど、「よくわからないものを会場の雰囲気と組み合わせて、人の心を動かす」というとこにあるやろう。

「連載中止にしろ」は世間の反応やちゃ

この作品に関しちゃ、モーニング公式のツイッターアカウントのリプ欄に書かれとる通り、結構激しい批判も出ていたりするちゃね。

「娘の友達」という作品の広告を、有名なフェミニストが晒しそのフォロワーが王蟲のように殺到して作品をボロカスにけなし始める – Togetter https://togetter.com/li/1431943

正直広告で吊られた人が大半かと思われるところやけど、もうテーマからして「反応せざるをえなかった」がかと感じさせられるのう。

ほんじゃから、「気持ち悪い」とか「性的搾取だ」とか「連載中止にしろ」というのちゃ、この漫画に対する世間の反応であって、正しい正しくない以前に、刺激を与えていることには間違いないちゃ。

この上の記事を書いた人なんかもそうなんやけど、結局作品に振り回されとる一人には違いないがいちゃ。「電話なかった!(キリッ」とか言ったところで、自分の主張の正しさとかオタクのダメなところを指摘しようとしとんがやけど、まあこれも作品があってこそであって、真面目にここまで書こうとするとか、本当に「ダラ」やと思ったじゃ。まあ自分の言ったことを後で誤魔化すことはダサいちゃね。最後まで貫けばいいがに。

講談社が「抗議が一件もなかった」というのちゃ、まあ「それがあなたの感想ながでしょ?」…という感覚かもしれんちゃね。

この上のコラムを書いた人は、講談社に弄ばれとるという認識は持ったほうがいいやろう。売れると思ったから、わざわざ取材に付き合ってくれたがでしょう。筆者はダラやから気づかんやろうけど。

…と思うとこやけど、実際どんな作品にしても「反応した」「反応しない」が分かれ目ながやし、どんだけ性的なことを書こうとしとっても、世間から反応が得られんもんは淘汰されていくもんながよ。それはどんなエンターテイメントにしても言えるやろう。

まあ、作者からしたら世間の人とか「ダラやないがけ?」と高笑いしながら見ているのかもしれんちゃね。「働くお父さん応援漫画」とは、ダラな人を刺激させるには、実に挑発的で最高やちゃ。

「劇薬漫画」というのも分かるのう

次に「批評性を持つこと」やけど、十二分にそれはあるちゃね。

レビューを見ていると、「思っていたものと違う」「恋愛漫画の皮を被ったホラー」「陰鬱な気分になる」とかあるがいど、この漫画、なんか人の感想を見ているのもおもしいがやね。モーニングの広告とか、最新の出張掲載にしてもそうやけど、「可愛らしさ」とか「癒やし」とか押し出してて、本編のほんの少ししか出してなかったりするがいど、これもオラとしちゃ、「本質を引き立てるため」にあるものでよぉ、こういうのも含めて全部作品かと思ってしまうちゃね。

オラの感想が割とこれに近い感じながいど、可愛らしい表紙と広告ながに、実際読んだら本当に緊迫感と迫力があるがで、人の感情とか狂わせにきとる素晴らしいものやと思うがいちゃ。「広告が悪い」とか噛み付いとる人はおるがいど、オラは「広告も含めて作品」やと認識しとるがで、その時点で振り回されとることには気づいた方がいいやろう。

オラとしちゃ、「読後感はどうなのか?」というのが一つに指標として考えるがで、当たり障りの良いものばっかしを世間にあるのは決して良いことやと思っておらんがよ。そりゃ、何かを表現するとなりゃ、どっかの誰かが傷つくとか普通にあるもんやし、むしろ「感情を揺さぶってくる」方が印象にずーっと残りやすいとも言えるやろう。

異物感が圧倒的やちゃ

「一定以上のクオリティがあること」これは言うまでもないやろう。

「男性の絵はラフだ」とか「話の進みが遅い」とかあるがいど、これもオラとしちゃ「作品を演出するため」のことかと思っとるがよ。現代アートは「見せ方が大事」とか言うがいど、この漫画もラフなとこも話の進みのところも、感情を揺さぶりにいく一つながやね。他がラフな方がヒロインの古都の美しさは際立つやろうし、ページを開いていく瞬間に突拍子もない行動を取るがで、だんだんページを開いていくのがおっかなくなってくるがいちゃ。

これはまんまとオラが手球に取られているやろう。

まあカバーからしてそうやけど、ヒロインの古都ちゃ、異様なまでの色気があるちゃね。それに比べた中年男性の方は男の情けないところが見えてしまうがやね。これを読んだオラの友人には「女尊男卑」やないかと言っていたがいど、そういう捉え方も理解はできるところはあるのう。男が読むとずっしりくるかもしれんねど、女性が読むとどういう感じになるがやろうか。やっぱし苛立ってしまうがやろうか?

そう考えたら「娘の友達」ちゃ、本当におもしい作品やと思うちゃ。読む前から多方面に刺激を与えとるだけやなくて、実際に読んでみたらずっしりくるとこもあるがで、中年男性どころか世間さえ「手球にとろう」としとるのかもしれんじゃ。本当に多くの方に読んでいただけたら…と思うちゃ。

 

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