とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

かなり多くの人が勘違いしとる「公共」の概念について触れるちゃ

最近こういうツイートを見たがやね。

アイコンにするのはアウト?

この上のツイートの発端となっとるのはこのツイートみたいやちゃね。

まだまだ残暑が続いているということで、なんやら頭が沸いてしまっとる人が多いのか知らんがやけど、どうやら絵師さんに依頼したアイコンがよぉ、性的やら何やらで難癖をつけられてよぉ、「公共の場にこんなもん出すな」とかゆっとんのがおるちゃね。

こういう「公共の場に○○は出すな」みたいなことをゆっとるもんちゃ、今に始まった話でもないがやけど、オラからしたらよぉ、こういう人達は勘違いされているのかと感じられたがでよぉ、新月さんのツイートを引用して、こう書いたわけやちゃ。

公共の場こそ「表現の自由」は認められるちゃ

こういうツイートをしたわけやけどよぉ、まず「表現の自由」というもんちゃ、憲法にも世界人権宣言にも定められているようによぉ、根本的には認められるもんながいちゃね。それが好きなものであるならともかく、嫌いなもんであっても、表現の自由は守らんなんもんやちゃ。自分が嫌いなもんであってもよぉ、他の人が好きな場合もあるからのう。

ほんじゃけど、表現の自由には責任が伴うもんであって、憎悪を煽動するようなもんやったら、それは批判を受けて当然なもんやちゃ。「人権擁護」と「表現の自由」は度々ぶつかるもんやけど、他人の権利を干渉するようなもんやったら、それは相応に反発を受けるもんやし、そこは利害を調整しないといけないところやろう。

ただよぉ、間違いなく言えることは「公共の場」というのちゃ、自分の所有地ではないことには間違いないわけやちゃ。そういう自分の持ち場でないがなら、そりゃ自分にとって気に入らない表現が出てくるのは当然やし、そういう公共の場所を司るもんは「一個人の主観」やなくて、「憲法」「法律」「条例」などといった「法」であることは抑えんといけんがいちゃね。

そう考えたらよぉ、「公共の場では表現の自由は制限される」がやなくてよぉ、むしろ「公共の場やからこそ表現の自由が認められる」ということになるがいちゃ。

「強調した」「エロ表現」は個人の主観やちゃね

いろいろ思うことはあるがいど、オラから見たらよぉ、自分の主観で他人の表現を制限できると思っとるような人が多く見られるちゃね。

このあたりのツイートをしとる人達を見てて思うことやけど、「自分の感じたことをあたかも社会一般的に通用するもんかと思ってて難癖つけとるなー」と思ったことながいちゃね。

「おっぱいを強調している」
「性的表現だ」
「エロ記号がある」
「現実にはない誇張表現だ」

…これよぉ、はっきし言ってしまったら、そのツイートをした人自身の「主観」にしか過ぎないことながやね。普通はよぉ、自分の思った感想で、人のやることなすことに難癖をつけることは、本当に失礼なことながいど、そういう意識を持ってらっしゃらん人がよぉ、噛み付いてしまっとんがやね。

ほんじゃって、オラは高守勇羽先生が描いた新月さんの似顔絵を見たところで、悦に「性的」とも感じんしよぉ、それに「強調している」とも感じてもないがやね。そんな「エロい」「強調している」「性的だ」なんてもんちゃ、一個人で感じ方が違うもんやし、それを「みんなそう思っている」ように主張するなんて、なんて身勝手な人ながやと思ってしまうもんやちゃ。

そもそも他人が「性的」やと思っているとも限らない以上は、ちゃんと「私個人としては性的やと思いました」と正しく表現してもらいたいもんやちゃね。何でオラが思ってないことを、アカの他人に「性的」なもんと決めつけられんなんがでしょうか?

公共の場は「ルール」こそ制限されるちゃ

しっかしよぉ、このあたりを本当に理解していない人が多いがいちゃね。

これで思い出したのはよぉ、今年の4月に話題になっとった、日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告が炎上騒ぎになっとった件ながいど、このときに東工大の治部れんげ教授がよぉ、ハフポストの記事内で広告に対して「見たくない人に情報が届いたこと」を問題視しとったがやね。

いやあ、大学教授というもんでも、この程度のこと勘違いされるもんながやね…。

そもそも「見たくない」というのは、一個人の主観にしか過ぎんことながやね。そんな自分勝手なお気持ちでよぉ、公共の広告表現を制限するというのは、独善的な人にしか見えんがいちゃ。公共のルールを決めるものは、あくまでも「法」であって、個人のお気持ちではないがやけど、それを治部れんげ教授は理解されていないように思えるがやね。

まず「自分の家」やったら、そりゃ自分のルールに基づいて、置くものも表現するものも決めればいいわけやちゃ。そうやって同じように考えたら、会社やったら会社のルール、飲食店なら飲食店のルール、スタジアムやったらスタジアムのルール、ライブ会場やったら主催者や管理者が定めるルールを設けることができるがいど、そういう場所でマイルールを持ち出すようなもんがおったら頭がおかしい人やと普通は思うやろう…。

「公共の場」というのを自分の家と勘違いされとるように見えるちゃ。

この治部れんげ教授の言うことが成立するとしたらよぉ、オラが「治部れんげ教授を見たくない権利」も認めないといけなくなるがで、こうなると治部れんげ教授の表現の自由も制限するようなことになってしまうちゃ。そんな話が通用してしまったら、おそらく治部れんげ教授は「誹謗中傷だ」と声を上げると思うがやけど、まあ「見たくない人に情報が届くこと」を制限することになったら、お互いがお互いを検閲する社会になるだけになってしまうのは、ちょっこし考えれば想像できることではあるちゃね。

こういう「お互いが検閲しあう」という状況にならんためによぉ、制限されるのは「表現」やなくて、まずは「ルール」であることを認識しないといけんがやね。

オラのブログを読んで「勘違いしとったじゃー」と思った方は、今考え直していただけるとありがたいちゃね!

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