授業で学ぶ古典はだやいがいど、サッカーで使うとおもしいちゃね

あらゆる分野と組み合わせながら、サッカーを楽しまんまいけ?…と常々言っときながら、遊んどるオラやけど、今回は古典とサッカーを組み合わせることにするちゃ。

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DAZN川柳


DAZNについてよぉ、いろんなツイートが見られて、ヘルプのアカウントにちゃ、えらいクレームが入っていたりするわけやけど、こうやって遊んどる方が性に合っとるがで、こんなのばっかし作ってたじゃ。

「DAZNが見えん!」ということをよぉ、直情的に五七五で表現するのもいいがいど、こういうのちゃ、少し比喩を混ぜたりして、手を加えたりしたらよぉ、なんかジワッとくるもんやちゃね。「狙いすぎ」と言われるかもしれんねど、遊びなら、人にどう思わせるのかを、ちょこっと意識してみたいもんやちゃね。

古典風にサッカーを表現するちゃ

これはいいのう。本当にジワッとくるちゃね。古典ならではの表現のオモシいのが、本当に出とるちゃね。大昔の人によぉ、今のサッカーを見て、どう歌うのかとか、そんな感じかのう。えらいマニアックに走ったら、「あんた何ゆっとらーけ?」という感じになるし、逆に直情的なもんになってきたら、このジワッとくる感じが出てこんもんやちゃね。簡単では無いがいど、そうやからこその味わい深さはあるもんやちゃ。

程よいボヤケた感じの表現でよぉ、読み手がイメージをしていく感じやちゃね。短歌は作るだけやなくて、鑑賞を楽しむのも文化ではあるがいど、作者の感動の中心を読み取ったりすると、これまた深さが感じられるわけやちゃ。

短歌理解の基礎知識
http://www.geocities.jp/monzo_laboratory/tanka.html

上のページは短歌を作る際のマニュアルみたいなもんやけど、これを見て印象的やったのは、「何を詠むか」より「どう詠むか」に歌人たちが心砕かれていった…ということやちゃね。同じ言葉でも表現方法を変えていくことでよぉ、文学の芸術性を高めていくがいちゃね。これは音楽の世界でも言えることやけど。

そういうのちょこちょこ考えていったら、案外、サッカーにも、歌人が入っていけるような気がするちゃね。

授業で学ぶ古典より、使ってみて楽しんだりする方が、身につくもんやちゃ

こうやってよぉ、自分でいろいろ作ってみて思ったことちゃ、やっぱし学校でやっとった古典からやと、古典の醍醐味を味わうことちゃ、まずできんと感じるちゃね。基本的に受験のための詰め込み式によぉ、単語とか文法を覚えさせることばっかしで、作者がどう思い、そのときの時代背景だとか、どう素晴らしいのか、どうしても感じられんかったがいちゃ。

よくよぉ、「古典は世間の役に立たんがで、いらんやろう?」というのが、過去も今もよく言われとることやけど、こういうのちゃ、教える側が原因を作っとるんやないかとも感じるもんやのう。反論で「古典は教養やから」と言われるもんやけど、重要なことちゃ、授業の中でその重要性をよぉ、プロの教師として、しっかり見せていかんならんがやないかと思うちゃね。

教えとる本人達も仕事やからやっとるだけで、大した持論すら持っとらんケースは多いがやろう。

古典から得られるもの

今回よぉ、短歌作ったりするがに、過去の文献を引っ張り出したりよぉ、ウェブの古語辞典を出してきたり、短歌の作り方のマニュアルを見たりしながら、いろいろやっとったがいど、こういうのちゃ、自分でアクション起こしながらやったほうが、楽しくやれるし、同時に覚えやすいがやと感じるちゃね。普段使わない脳を刺激させとるようで、頭の体操になるしのう。

オラは地元の言葉しか使えんもんやから、普段からこんな調子でブログやらツイッターやらやっとるわけやけど、フォロワーさんによぉ、「標準語で同じことゆっても、そこで感じるイメージは違うもんになるちゃ」と言われて、言葉というのちゃ、やっぱしおもしいと思ったのう。オラは別にそこまでの意識はしとらんねど。

そんでもよぉ、今の日本で使わんがになった言葉ちゃ、それはそれで味わい深いもんがあってよぉ、古文と現代文が同じとこに書いてあってもよぉ、やっぱしそれを見て抱く感情ちゃ、微妙に違うもんがあるのう。

そう思うとよぉ、古典を学ぶのちゃ、自分の表現力を磨くためとも感じられるがいちゃ。

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