とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

五輪中止を訴えるのは良いがやけど、アスリートに言わせようとせんなま。おめえさの拡声器やないちゃ

2021/05/09

競泳の池江璃花子選手によぉ、人の心がないツイートが寄せられとんがやね…。

アスリートに「死ね」と言っとるも同然やちゃ

このことに関しては、論外と言うべきやろう。

五輪に出場するアスリートの方々ちゃ、五輪に人生をかけているがやね。そりゃ、そのためには日々の節制やったり、トレーニングやったり、あらゆるプレッシャーの中に立たされているわけやちゃ。

当然そのような方々にとっちゃ、五輪は開催を願って当然なもんやろう。彼ら彼女らにとっては、そこが輝く場であるもんやし、人生の大きな山場であるからのう。

そう考えたらよぉ、一個人として「五輪反対」というのは自由ながいど、これを晴れの舞台のために努力をし続けているアスリートの方々によぉ、同意を求めようとするのちゃ、尊厳に関わる問題ながいちゃね。

肉屋の人に肉売るな
魚屋の人に魚売るな
鰻屋の人に鰻売るな
風俗嬢に風俗を撤廃しろ

まさに↑のようなことを言っているも同然ながやね。直リプしとる人達に関しちゃ、ちょっとした人の気持ち、立場も考えられない人と自己紹介しているも同然ながやね。

要はアスリートに五輪中止を叫べ…というのちゃ、ほぼ「死ね」と言っているようなことと同じようなことと言ってもいいやろう。

自分の言葉に自身がないがでしょうか?

このニュースを見てもう一つ思ったことちゃ、アスリートの方々に「五輪反対を言え」とか「辞退しろ」とか言っとるような人達ちゃ、自分の言うことに自信がないのかと感じられたのう。

根本的に世の中には、いろんな意見があるもんやし、立場も様々ながやね。そりゃ、コロナやらそれ以外の理由やらで、五輪を反対する人はおるやろうし、オラも懐疑的な考えではあるがで分かるもんやけど、同時に「五輪を見たい」と思うような人は結構いるものやと頭の中に入れておかんなんちゃね。

まあ、五輪中止を叫ぶもんちゃ、なんか自分以外のことが自分と違う意見を言っとることについて、容認できないような心の狭い人間のように思えてくるがやね。ほんじゃから、有名人に言わせようと考えるやろうし、同時に「ほら自分以外も言っとるにか!」と言わんばかりに、自分の意見と同意する人が多数いるように見せかけたいのかと感じられるがいちゃ。

自分の意見なんてよぉ、大多数が賛成していようが、仮に自分しか思ってなさそうなことであってもよぉ、自分の意見は自分の意見で自身を持って言えばいいだけやないかと思うがやね。

例え世界で一人しか言ってなかろうが、自分だけやろうが、自信持って言えばいいだけながやね。

アスリートは誰かの拡声器やないちゃ

あとは、同時に「自分の言うことに責任を持ちたくない」という気持ちもあるのかと感じられたのう。

五輪に出場するようなアスリートちゃ、何を発言しようとも、その責任は大きいものやし、オラみたいなダラなもんと比べても、影響力は全然違うもんやちゃね。それだけによぉ、ちょっとしたことでも発言するのちゃ、躊躇してしまっても致し方ないやろう。それに基本は「アスリートはスポーツの結果」が評価軸である以上は、その他のことでミソはつけられんまい。

そういうことを考えたらよぉ、自分の発言によって自分のところに跳ね返ってくるのが嫌な人とか、誰か有名人に言わせようと考えるのかもしれんじゃ。

全くもってダラな人がやる行為やなかろうか?

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