反差別運動に対して引っかることがあるちゃ

あんまし更新するネタもないがで、気になることちょっこし書くちゃ。

こんなツイート見たがよ。

さすがにこれはどうかなあと思ったのう。

オラが思うに、何に対して「怖い」と感じるのかは、人それぞれで違うもんやから、これを「差別の本質」に繋げてしまうのは違和感を覚えるちゃね。

そんでこの方は「自分が黒人ではないから」とおっしゃっているがいど、これは黒人さんにとっても感じ方が変わるもんやなかろうかと思うちゃ。多様な考え方があることが前提になくて「黒人ならこう思っているはず」というステレオタイプを助長させていないやろうか?

BLM運動に関しちゃ、オラは結論はこれといって出していなかったりするちゃ。まあ多様な人が運動に参加されとるし、その中でも穏健な人もおれば、過激な人もおるやろう。

ただ同時に集団心理のせいか、暴動に発展するのも動画でよく見るだけに、やはり「怖い」という感情はオラは感じてしまうところやちゃね。

https://twitter.com/karakara_00/status/1305816382110482432?s=20

そう考えたら、このツイートには納得してしまうちゃね。

こういう運動については、別に積極的にやってもいいと思うがやし、オラは特に反対することもないがやね。ただ、同時に「反差別ならBLMに反対してはいけない」とか、個々の意志を強制するようなことは言うべきではいかと思うがやね。

むしろ「反差別なら運動に参加しろよ」という強行的な態度を取ってくるような人間のほうが「怖い」と感じてしまうからのう。

「反差別」という主張と、「怖い」という感情は、全くの別物ながよ。

「オラは黒人差別も女性差別も反対やちゃ。ただべらどまはおっかなくて、あんまし近寄りたくないちゃ」

反差別を訴えるのは大いに結構やけど、トーンもやり方も人それぞれで良いやろうし、やり方がおかしいがであれば、それは批判されて当然やろう。

何にだってそうやけど、オラは「差別」はもちろんやるべきではないのは当然のこととして言えるがいど、同時に他人の発言に安易に「差別だ」と攻撃していくのも、結構慎重にしていかんなんかと感じられるのう。

全く差別もすることもなく、発言の揚げ足を取られて「差別主義者」とされてしまうのは、あまりにもダメージが大きすぎるし、その人自身の生活もどん底に落とすくらいのものはあるかと思うちゃ。

ただ、そういった「差別主義者」というイメージが付き纏った人間に比べて、指摘する側の人間ちゃ、大したリスクを背負っていないし、糾弾する側が「差別主義」と同等のイメージがつけられることはないがやね。

結局、誰かを蹴落とすために手段として「差別」という言葉もカジュアルに使えてしまうがやね。つるの剛士氏がこないだあった「パクチーを外国人に盗まれた」という話に関しても、声を挙げた人がこの人でなかったら、大きな話題になっていたのか疑問に思ってしまうがやね。

…で、農業関係者の人権なんてどうでもいいような感じの人まで出てくるしのう。

「外国人差別をするな」といいつつも「農業関係者は軽視してもいい」という、別方向への差別を平気にやってしまうがで、困ったもんやちゃ。過激な反差別運動、フェミニズム運動には、自分たちの主張を強く激しく言っとる傍らで、どこか不当な扱いにしとる発言は、よくあるものやったりするのう。

そう思うと、差別というのちゃ、やっぱし誰かを糾弾するための道具として使うものやなくて、やはり「意識して差別しない」ということは当然としといて、無意識なもんでも「言い方に気をつけよう」というところに尽きるがやないかと思うのう。

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