ポリコレは「黒人やアジア人のヒーローがいてもいい」というが、それは「そう思った人がつくればいい」んやなけ?

最近つくづく思うことがあるちゃ。

それはポリティカル・コレクトネスという通称「ポリコレ」と言われる人達がよぉ、「そう思った人が作ればいい」ということやちゃ。

ポリティカル・コレクトネスとは

現代美術用語辞典というサイトでは、ポリコレはこういう意味らしいちゃね。いろんなサイトへ見たら、オラとしてはこれが一番ピンときた感じやちゃね。

Political Correctness

特定の言葉や所作に差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語や政策を推奨する態度のこと。政治的妥当性。「PC」と略される。西洋的な白人男性中心主義とマイノリティの価値観が衝突し、さまざまな社会的問題が露呈したアメリカで前景化した概念だが、1980年代以後に一般化し、今日では世界各国に広まっている。

日常的に使われている言葉には、現代の人権感覚や歴史認識を基準にすると不適切なニュアンスを持つものが数多く存在しており、PCはそうした言葉の使用によって人種・民族・ジェンダー・職業・宗教・ハンディキャップなどに対する差別意識を助長することを防ぐ立場として一般に理解されている。

大航海時代の名残で長らく「インディアン」と呼ばれていたアメリカの先住民を「ネイティヴ・アメリカン」と表記することや、肌の色による呼称である「ブラック(黒人)」を「アフロ・アメリカン」と改めることなどは、PCに基づく言葉の是正の代表的な事例である。

日本における具体例としては、「保母」という名称が、対象を女性のみに限定するような印象を与えてしまう可能性を考慮して男女の別なく用いることのできる「保育士」に変更されたことなどが挙げられる。また、言葉の用法を正すことだけではなく、社会問題への意識を改めるための政治的なアクティヴィズムに従事する人々の態度を広く指し示すこともある。

一方で、ポリティカル・コレクトネスの追求が逆差別や度の過ぎた自主規制や、表面的な「言葉狩り」のような事態を引き起こすこともある。とりわけ文学・映画・漫画などにおいては、古い作品に含まれている差別的な用語や表現が無闇に害のないものに置き換えられる場合があり、その際に作品が本来有していた内容や文脈が損なわれることが問題視されている。

引用:ポリティカル・コレクトネス | 現代美術用語辞典ver.2.0
https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9

「性別・文化・人種・宗教・民族などのあらゆる差別をなくしていこう」という考えでよぉ、よく「政治的中立性」「政治的公正」「政治的正当性」「政治的適正」「政治的正義」なんて日本語で表現されることあるちゃね。

「政治的正義」なんてえらい表現するちゃね…。

「用語における差別・偏見をなくする」ということで、政治的観点から見て「正しい言葉を使っていこう」ということで、結構言葉が変わってきとるがいちゃね。警察官が「ポリスマン」やったがに、今は「ポリス・オフィサー」に表現されとるし、旅客搭乗員にしても「スチュワーデス」やなくて「キャビンアテンダント(CA)」とか言葉を変えられとるがやね。

現在進行系でいろんなことが変わってきとるがやから、オラにしても知らず識らずに「以前の言葉」を使ってしまうのはよくあるがいど、そういうたびに「ありゃ、今はこんながに変わったがやね」と思うことがあるちゃ。

あまりにも熱くなりすぎて「言葉狩り」に走るような人達がいるのは、さすがに問題はあるがいど、本来はめちゃくちゃ悪く言われるようなことでもないと感じるのう。この辺りは過激な言動に走って、本来の取り組みと脱線してしまって、足を引っ張ってしまう「フェミニスト」に近いところやろう。

映画界のポリコレ配慮

最近、ハリウッドにしても、ディズニーにしてもそうやけど、この社会の動きを見て、ポリコレに配慮した作品を作ろうとする傾向が強くなってきたがやね。

ターミネーター:ニュー・フェイト (2019)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/367854/review/4953/?c=5&sort=lrf

最近では「ターミネーター:ニュー・フェイト」が女性型ターミネーターを出したりしとるし、スター・ウォーズでも女性を主役にねじ込んだりしとるちゃね。なんというか映画を見に来ているお客さんを「楽しませる」ことよりも「政治的正義」を優先しとる…という感じになってきとるがやね。

「トランスジェンダー役がそうでない役者がやったらダメ」なんて出ているがいど、これはさすがに行き過ぎやろう。役者の仕事を否定しているも同然かと思えるのう。スカーレット・ヨハンソンが優れているがであれば、スカーレット・ヨハンソンが演じるべきであって、役者の能力以前に属性で決めたら、逆に「トランスジェンダーの人間はトランスジェンダー役以外を演じるな」が成立してしまわんかのう?

最もの話、トランスジェンダーの役者さんが「実際に何かの役を演じる機会がない」のであれば、それはある映画で採用されないからが問題やなくて、別の問題があるんやなかろうか?

「そう思った人が作ればいい」

それにハリウッドやディズニーに頼らなくても、映画などは多くの人が支援して、力を合わせれば、別にできないわけがないがで、結局のところ「ハリウッドに変わってもらうことを期待するより、自分でやったほうが良い」と思ってしまうちゃ。

作家の伊東麻紀さんのツイートを引用して書いたがやけど、オラからしたら「入善弁を使うヒーローがいてもいい」とは思っているちゃね。

ほんじゃからといって、それが出てこないからといって、今のエンタメ界に「入善弁のヒーローが出てこないのはどういうことながよ!ダラか!」とかさすがに言う気にはならんちゃ。作品に出てこないからといって、地域を差別しているなんて、サラサラ感じることもないちゃ。

そういう作品がないからといって、オラの地元が絡んだローカルなものやったら、さすがに「それなら先生が作れば良いんや無いがですか?」で突っ込まれて終わりやろう。それはオラも同感やちゃ。

逆に都内や海外の人が「入善弁のヒーロー」の人を作るようであるなら、それはそれでオラは歓迎するちゃね。25000人に満たない人の中から役者を見つけるよりは、1億人以上の日本人でも、なんなら外国人でも全然構わないというスタンスやちゃね。それが多様性やからのう。

最近は「声を上げていくことで世の中を変えよう」という人が多いし、それ自体は別に間違えているわけやないがやけど、勘違いしとる人も多いと感じるちゃね。

ポリコレが好き放題に要求する声があってもよぉ、結局「作品に対しては作品で応える」方が様になるもんやないかのう?フェミニストでタピオカアートに噛み付く人は多かったがいど、オラからしたら「作らない人の遠吠え」にしか見えなかったがやね。

ハリウッドやディズニーに「ああしろこうしろ」と言うのちゃ、結局のところ、既存の映画界にぶら下がっている人が言うことであって、クリエーターならやっぱし「ハリウッドやディズニーを超える」くらいの野心と創作意欲があって然るべきやないやろうか?

作れないなら「あるものを広める」のがいい

黒人ヒーローを描いた「ブラックパンサー」はアフリカでどのように受け止められたのか?
https://jp.ign.com/black-panther/22818/feature/

マーベルからリリースされとる「ブラックパンサー」がえらい評価されとるがやね。オラは見ていないがやけど、その作品は良く耳にするちゃ。出演もスタッフもほとんどが黒人さんで占められとって、舞台もアフリカの架空の国ながやね。これは興味深いちゃ。

要は「作れる人は作れる」ものながやね。それにいい作品やったら、国も超えていくものやし、色んな人に認知されていくものやろう。当然人種も超えていくものかと思うちゃ。

そういうのを考えたらよぉ、ハリウッドとかディズニーとかのでかいところやなくても(マーベルもでかいけど)、素晴らしいと見られる作品なら、SNSなどを駆使して、色んな人に広めていくのが良いものやなかろうか?

ルッキズムとかでもそいがやけど、結局は「上にあるものを下げる」というよりちゃ、やはり「よく知られていないものを広める」方が建設的ながやね。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 俺は東京藝術大学は6回で諦めた、心から諦めた事を悔やんでる。
    もう一回、3年以内に再挑戦したい。

  • 興味深く読ませていただきました。全く同意見です。
    ディズニーだけではないのですが、過去作の実写化やリメイクをする際に
    明らかにオリジナルの時代設定に合わないキャスティングで無理に有色人種をぶっこんでくるのはひどく違和感を感じて純粋にエンターテイメントとして楽しめません。
    新しい話を創造するより既存作品のリメイクをすることが楽なのは分かりますがその際に安易にぶっこんでくるポリコレ的作為に何だか視聴者として醒めるなあ萎えるなあと思うことが多々あり、作れる人が新しく作ったらええというご意見は全くその通りだと感じました。

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