最近良く聞く言葉に「ルッキズム」という言葉はあるちゃ。
アナウンサー時代には、ほとんどタレントのような売り方して、写真集まで出して、ルックスで売っていた小島慶子さんが言うのはどうなんかと思うところやけど、まあ「ルッキズム」を毛嫌いしとんがやね。
ルッキズムちゃ、何け?
こういうカタカナ語が多用されるときは、まずは言葉の定義からしっかり見ておく必要があるちゃね。ということで、誰もが編集できるからアレやけど、とりあえずWikipediaから拾ってみるちゃ。
定義としては「身体的に魅力的でないと考えられる人々に対する差別的取扱い」ということになるちゃね。
ルッキズムという言葉が生まれたのが、70年代後半にアメリカで起きた「ファットアクセプタンス運動」からみたいやちゃね。肥満差別の撤廃を訴える運動ながやと。
オラも肥満については結構考えさせられるもんで、一時期かなり増えていた時期もあったもんやから「痩せないと」とか思ったし、人から言われて「これは良くない」とか自覚しとるがいど、人によってはなかなか上手く行かない人もいるのも事実やちゃね。そういう人を見た目で全部判断するようなのは、あまり良いことやないちゃね。
そう考えると、小島慶子さんの言うことは、やはり首を傾げてしまうちゃ。
見た目で馬鹿にするのがダメやちゃね
小説家の新月さんのツイートがバズっとるがいど、彼女のいっとられることが、オラは正しいと思うちゃね。要は「猫娘のスタイル批判やなくて、ねずみ男を悪く言うな(肉の国さん)」…ということながいちゃね。
どんだけ美容とかファッションとか頑張っても、なかなか上手く行かない人はおるがいど、そういう人を馬鹿にしてはいけないしよぉ、同時に「見た目で判断するんやなくて、良いところを讃えてあげる」ということが大切やちゃね。
逆にルックスを活かして生計を立てる人とか、それはそれで良いやろう。美しいものを見たい人はそうであれば良いがやし、誰かを傷つけるかといったらそうでもないやろう。
「ルックスをいい人を持ち上げるのは、同時に悪い人を傷つける」というのを良くみるがいど、これはちょっこし考えすぎかと思うちゃ。そういう「良いものを持ち上げるのは同時に…」みたいな考えになってしまうと、スポーツでいうと「上手な人を持ち上げることが下手な人を傷つける」になってしまうがいど、そういうのやとプロスポーツみたいなものはやっていけるもんやないちゃ。
なんのせ「才能でご飯を食べている人」を引きずり下ろすような考え方ちゃ、「美しいものを見たい」「かっこいいものを見たい」「すごいものを見たい」という人達のことを蔑ろにしとるも同然やから、視野の狭い考えやといつも思うちゃ。
それに「誰かを引きずり下ろす」…みたいな考え方というのちゃ、「今ルックスで生計を立てている人」が路頭に迷うことになってしまうがやね。本当に誰の得にもなっていない考え方やろう。
「ルックスを売りにしたい人」と「美しいものを見たい人」のそれぞれのニーズが合致していれば、それはそれで良いものであって、第三者が介入するのは、まさに「百害あって一利なし」と言えるやろう。そんなことしとる暇があるがなら、もっと自分が楽しめるものを探求してみるべきやなかろうか?
「ルッキズム」とは、ルックスのいい人を引きずり下ろすんやなくて、「ルックスで馬鹿にする風潮をなくそう」ということやなかろうか?
宇崎ちゃん論争もルッキズムやちゃね
今もなおよく言われる「宇崎ちゃん」の献血ポスターの話やけど、まあこれも一種のルッキズムとも言えるやろう。
あの件が燃えているのは、少なからず「宇崎ちゃんの巨乳」が大きな要素になっているのは間違いないがやけど、構図やら描写やらでいろいろ言われて、漫画自体が「性的なもの」と見なしている人が結構見られるがやね。
といっても、この上記にあるツイートのように「エロ目的」というのは、作者が発言してもないがに言ってしまうのは、まさに見た目だけで差別している「ルッキズム」そのものながやね。発言してもないことを第三者が決めつけるのは、結構侮辱的かと思うがいど、発言しているご本人は自らを省みることはできんがでしょう。
オラも漫画喫茶行ってちょっこし漫画見たがいど、ヒロインが「希少であっても実在はする巨乳」であるだけであって、中身はいわゆる「日常系」のギャグ漫画ながやね。
まあオラなんかは、別に漫画の作品がどんなおっぱいの大きさであろうと、それが性的な作品かどうかまで、実際読んでみないと分からんとも思っているしよぉ、同時に「ヒロインが巨乳=性的」と口に出すのちゃ、体格が近い実在女性にとっては「私に近い体格の人が登場する作品は全て性的なの?」と思われるだけに、オラには差別的に感じられるちゃ。
要は「宇崎ちゃん」に対して、一個人が性的かどうか思うのは自由ながいど、それを口を出せば出すほど、その人自身の「ルッキズム」が丸出しになってしまうように思うちゃ。
昆虫食こそルッキズムやちゃ
そして「見た目が悪いとされるものを差別する」ことがルッキズムの定義とすると、これも挙げられるちゃね。
そう!昆虫食やちゃ!
昆虫食は世界的にも食べられとるし、日本でも長野県をはじめに食べられとるところが結構あったりするちゃね。それに国連がよぉ、栄養源として可能性があるとか、可食部が多くて効率が良くて環境も良いとか言ったとしてもよぉ、やっぱし「見た目」で敬遠されるがいちゃ。
まさにこれは「ルッキズム」そのものやちゃ。
ただ、辞書やWikipediaなどで書かれる「ルッキズム」と違って、昆虫食に関しては、別に昆虫さんが傷つくわけやないがで、これを「気持ち悪い」と言ったところで、差別を受けたと感じるもんはほとんどおらんやろう(ごく少数おるかもしれんがやけど)
去年の夏に昆虫食のイベントに参加したときによぉ、いろんなものを食べさせてもらったがいど、オラは「昆虫はこんなに美味しいものながけ?」と驚いたものやちゃ。特に上の「ニイニイゼミの燻製」はハムを食べているような感覚で、とっても美味しかったがやぜ。これはまた食べてみたいじゃ…。
これはハイイロゴキブリの素揚げやちゃ。なんとオラはゴキブリを食べてしまったがやぜ。あのゴキブリやぜ。
ただ、このゴキブリは家庭にいるようなキッタナイもんやなくて、野生に生息しているゴキブリながよ。家庭におるもんはいろんな汚いものが腐蝕しとるがで、そんなもんを食べたら身体悪くなってしまって当然やけど、これは大丈夫ながいちゃ。
このハイイロゴキブリの素揚げちゃ、洋梨のようなフルーティな香りがしとったがやね。食感やエビみたいな感じやちゃ。噛み締めた瞬間にジュワっと甘い汁が出てくるのがいいちゃね。まあ見た目がアレやけど、食べ物としては良いものやと思うちゃ。
人も昆虫食も見た目で全て判断するもんやないちゃ
「ルッキズム」の問題ちゃ、ある意味、昆虫食との親和性が高かったりするちゃね。昆虫食も「見た目」がアレやから敬遠されるしのう。
小島慶子さんの言うようなことを食べ物に当てはめたらよぉ、「盛り付けがきれいな食べ物はダメ」とか「色鮮やかなケーキはルッキズム!」とか「食べ物を見た目で売るのは差別」とかになるがで、まあおっかしな話になってくるもんやちゃ。大半の昆虫食愛好家にしても、さすがに「見た目が良いものを落とす」ことは望んでいないやろう。
ただ昆虫食と違って、人間は「見た目」で悪く言われたら、相手は傷つくものながいちゃ。見た目の偏見だけで全てを評価するようなのは、まさに「ルッキズム」そのものやろう。ほんじゃから「ルッキズム」は良くないものにされるちゃ。
見た目が悪いと「価値がないものとされる」のは、人間も昆虫食も言えることやし、見た目やなくてもっと内面を見てあげようとするのは大切やちゃね。
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