ペレがお亡くなりになったじゃ

エドソン・アランテス・ド・ナシメントこと「ペレ」がお亡くなりになったがいちゃ。

「サッカーの王様」と呼ばれとったペレが82歳でお亡くなりになったがやね。

カタールワールドカップの開催中によぉ、ガンで闘病中であることが明らかになっとって、ドーハの会場がライトアップされるなどされとったがやけど、2022年も最後になって多臓器不全のためにお亡くなりになったがいちゃ。

90年の歴史を誇るW杯でもよぉ、3度優勝した選手ちゃ、ペレだけながやね。1958年のW杯によぉ、17歳でW杯出場して、6得点を奪ってブラジルの初優勝に貢献したがやね。次のW杯の1962年も優勝を飾って、1970年のメキシコ大会でも優勝を飾ってよぉ、ジュール・リメ杯の永久保持に大きく貢献したがやね。

その頃のサッカーの背番号ちゃ、抽選制で決めていて、あまりポジションなど関係なかった時代やったがいど、ペレがちょうど10番を背負っていたこともあってよぉ、ペレの10番は「エース」を意味するようになったがやね。

このツイートで思い出したがやけど、1966年のW杯では、当時世界最高の選手やったペレによぉ、執拗なタックルを食らわせたりして、怪我させたことがあったがやね。

その頃のサッカーちゃ、選手交代もなくて、カードも無かった時代やったこともあって、ラフプレーとかしても退場になることもなかったがやね。このペレに対するラフプレーが問題視されるようになってよぉ、選手交代が導入されて、イエローカード、レッドカードも取り入れられるようになったがいちゃ。

本当にすごいなーと思ったのは、この動画ながやね。

あらゆるボールテクニックはペレにつながる…と言わんばかりのプレー集ながやね。しかもよぉ、ヨハン・クライフの代名詞である「クライフターン」もすでにペレがやってしまっているところがすごいちゃね…。それに今の選手と見比べても、やっぱり世界最高レベルやないかなーと感じさせられるちゃ。それに当時のサッカーボールは今ほど軽いもんでなかったと考えたら…まあ本当にすごいなーと思うちゃ。

それによぉ、後頭部に目がついているんやないかと思うほど、すごい見えているがやね…。それにどこに抜け出すスペースがあるのかも把握しきっている感じが、もう図抜けてしまっとるがで、びっくりするがやね。当時のサッカーレベルにこういう選手がいたのちゃ、本当に宇宙人が来たかと思うくらいの衝撃はあったんやないかなーと想像はできるちゃね…。

オラが物心がついたころには、すでにペレは引退しとったし、過去の人物であったがいど、そんでも「サッカーと言えばペレ」みたいに、みんな言っていたくらいやったし、オラにとっても「かっこいいなー」と思っていたもんやちゃ。本当にありがとうながよ。

エドソン・アランテス・ド・ナシメントさん、安らかにやちゃ…。

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