カレー探偵やみちゃんのInstagramで衝撃の投稿が出てたじゃ。
イミズスタンの象徴である「カシミール」が閉業していたがよ。
この投稿を見たときには言葉を失ってしまったのう。ショックが大きすぎて、夕方以降はそればっかし頭に巡ってて、なーんも考えられんかったじゃ。この現実は受け入れがたいちゃね…。
やみちゃんの説明にもあるがやけど、この店は1999年に始まった店でよぉ、射水市における現地系パキスタン料理店の始まりながいちゃ。開業当初からプレハブ小屋で営業していて、2010年代に改装した後もずーっとこのスタイルでやっとったがやね。
こういうパキスタンやインドの料理店は、日本では普通はそれっぽく店構えを整えてよぉ、インド音楽が流れていたりするもんやけど、ここはそういうのが一切なくて、音楽はなしで、ただ飯を食べるところ…みたいな感じやったがよ。最初のときはテレビすらなかった店やったがやね。とにかくめちゃくちゃ入りづらい空気が漂っていたがよ。
























オラがこの店に初めて行ったのは、2007年ぐらいやったかのう?
当時はあんまし知名度がなくて、今ほど「イミズスタン」という言葉が浸透していなかった頃でよぉ、むしろパキスタン系の中古車ビジネスがどうたらで物騒なイメージが若干ついていた頃やったがやけど、オラはすごく緊張しながら行った記憶があるちゃ。
そんでよぉ、椅子に座ったらすぐにプレートを出してきてサラダ、チキンティッカ、プレーンのビリヤニを提供してきたがやね。注文何もしてないがに、いきなり持ってきたことに驚いたもんやちゃ。
当初、ビリヤニというのがどういうものか知らなくて、名前すら記憶になかったがやけど、それがビリヤニとの出会いやったのう。ターメリックで半分くらい染まった米は、米のつもりで食べてなかったのを覚えているちゃ。
その時によぉ、店員さんらしき方がよぉ、いきなり「チキン?マトン?ベジタブル?」とか聞いてきたがやね。
「え?この店メニューないがけ?」と思ったもんやちゃ。
それからあんまし時間をかけずにサクッとカレーが出てきてよぉ、丸形のナンが2枚くらいどんと置かれたがやね。店員さんが何も言わないで出す感じが、いかにも日本じゃないなーと思ったもんやちゃ。
そんでよぉ、次々とパキスタン系の方々がお店の中に入ってきて、日本人はオラだけの状況になっとったがやね。ちょっとした海外渡航の感じを味わえたがやけど、オラはイスラム圏へ行ったことないがで、とにかく緊張したのを覚えとるちゃ。
そんで値段も分からず会計を聞いたら「1000円ね」と言われたのう。
メニューもなければ、会計もレジらしいものが見られなかったし、テーブルも店内の内装も何もかもシンプルそのものでよぉ、とても日本人の感覚ではこういう店はできるもんやないなーと感じたがやね。すごくいい体験やったがでよぉ、それから何度も足を運んでは、いろんなもんを食べたもんやちゃ。2ヶ月に1度ペースで足を運んだかのう?
それからいろんな店へ行くようになってよぉ、カレー探偵やみちゃんとも出会って、食事会へ行っては今まで見たこと無い料理をたくさん食べたり、はたまたオラがハムザレストランでパーティをプロデュースする立場になったりと、すごく楽しい思いをしたもんやちゃ。
ちなみによぉ、このカシミールの初代の料理長は、今は高岡市中曽根にある「ザイカカレーハウス」のオーナーシェフのムハンマド・サキラインさんながよ。あとはよぉ、富山市と滑川市で3店舗経営している「インディアンハット」のオーナーのシェーク・モーシンさんも働いとったし、ちょっこし前までは「ザムザムカレー」を開業した”メガネ兄貴”ことムハンマド・カムランさんも働いていたがで、数々のシェフがカシミールで腕を振るっていたがよ。
正直言えば、もっと長く営業をしてほしかったしよぉ、閉業するにしても前もって言ってほしかったし、それこそ「お別れパーティやろう」とか思ったもんやけど、ある日突然いなくなるのは、イミズスタンっぽさもあるのかもしれんちゃ。
近年、新店も増えてきて、新陳代謝が激しいイミズスタンやけど、これも全てカシミールがあったからこそやちゃ。オラがカレーが大好きになったのも、カレーを深く知るようになったのも、はたまたカレーを作るようになったのも、この店が原点にあるちゃ。
本当にありがとうながよ。シュクランカシミールやちゃ!












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