ちょっこし昼間にお騒がせしたがいど、まあ今のところは全然なんともないちゃ。ただ、少し追記しておきたいことがあるがで、こういうネタは今日までにしておくことにするちゃ。
まずは自分から総括するちゃ
まあいろんなことあって、4年前のツイートを掘られてしまったがいど、これはオラとしては結構迂闊なツイートやったとは認めざるを得ないちゃ。
>結局その時に生きて、目で見てきた人がおるわけやない
ここは余計なところやったのう。この文面を見て「そのときに人はいない」とも取れるがやし、同時に「生きている人がいない」とも取れるわけやしのう。
ここはオラの反省点やちゃね。
ただ、他の部分に関しちゃ、根本的には歴史的な出来事に関しては、オラは「半信半疑」というスタンスであって、歴史的な資料や言い伝えがあったとしても、その時代ごとでのバイアスは必ずかかってくるもんやから、完全に鵜呑みにするもんやないと考えているがやね。
根本的には「虐殺はあった」こと自体は否定する意図はないちゃ。
今のようにあらゆるデータを残せる時代やなくて、100年も昔になってしまったら、どうしても今ほどの記録技術はなくて、情報の正確性が乏しかったりするもんながやね。そうやから、歴史論争みたいのちゃ、あんまし決めつけがましく言うようなもんやないかと思っとるちゃ。
結局今のアーカイブを取っていく技術を持ったまんま、タイムマシーンを作って、そこで記録していくしかない…のは、根本的なところやないやろうか?
これは昨日のブログにも書いたがいど、自分で「確証持てないものは言わないほうが良い」と言うスタンスと同じながいちゃ。
言い伝えることは大切やちゃね
基本的にオラは「歴史は絶対視しない」というスタンスは変わらんがいど、それでもこういった引用ツイートは、あまり知らなかったオラとしては貴重なツイートやちゃね。
同じ時代に生きて、同じ場所で住んでいるわけやないがで、結局その人の持っている思想ちゃ、当然異なっていくもんながで、結局は今回の事例に関しても、個人個人によってギャップは生まれやすいもんかと思うちゃ。
それ故に、自分が得た体験とかを丁寧に教えてくださるのは、素晴らしいことやからのう。横浜でこういうことをやっていたといっても、富山でやっていたわけでない以上は、こういうギャップはどうしても発生してしまうもんやからのう。
Twitterをやってて良いところちゃ、そういう自分の経験で得られないような情報をよぉ、誰かが発信してくれるところやし、そういうので自分のためになるようなことが結構あったりすんがやね。そういう意味では過去のツイートを掘られたとしても、実りのある機会に出会えたかと思うちゃ。
お互いの思想は違うかもしれんがやけど、貴重な情報を提供してくださる、のび太と鐵兵団さんには感謝するちゃ。
思想の違う相手を誹謗中傷していいがけ?
こういう考え方というのちゃ、思想が違えば、誹謗中傷してもいい…というのが露骨に出ている例やなかろうか?
きちんと説得に当たれば、相手も理解してくれる可能性はあるわけやし、そういう事例を淡々と出していけば、人の認識も変わってくるもんかと思うがいど、頭ごなしに「馬鹿」とか言ったところで、相手のためにもならんがやね。
結局はこういう「馬鹿」とか言うような人ちゃ、オラからしたら「関東大震災や虐殺事件を免罪符とした誹謗中傷」やなかろうか?
のび太と鐵兵団さんのように、自分が経験したことをこうやってオラに紹介してくださる方は、オラにとってもありがたいし、次に繋がるようなツイートで、お互いが建設的に済ませられると思うがいど、上にあるようにただ罵声を浴びせるだけの人は、そういった事例を紹介できるくらいのものがないのか、ただ罵声を浴びせるだけながやね。
昨日も書いたがいど、これが「行き過ぎた正義感」ながでしょう。自分が反差別とかそういう立場にいるから、何でもかんでも強い言葉をぶつければいいと考えとるような人達ながやね。こういった方々は「誹謗中傷するのはネトウヨであって、自分達のは誹謗中傷とは言わない」という感覚ながでしょう。
極端な話、思想が異なるもんには、どんだけ誹謗中傷しようが、それで言われた人が自殺しようが、精神的に追い詰められたとしても、そんなの関係ない…というのが、こういう人のスタンスながでしょう。これでよく「人権」とか言えるもんやと思うちゃ。
もう一度書くがいど、誹謗中傷とは「根拠のない悪口を言いふらして他人の名誉を損なう行い」が定義付けされとるがやね。
そうである以上は、誹謗中傷は誰にでもやってしまう可能性がある…ということやちゃ。
結局こういうのが横行すると、やはり誹謗中傷というのは、延々と無くならないもんかと感じたじゃ。
モナゲ(tipmona)ってなに?
そもそもMonacoinってなに?
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