【追悼】今西和男さん、安らかに

先日よぉ、オラがリスペクトする今西和男さんの訃報が流れたがやね。

あまりにも偉大な人物ながで、オラがどうこう言うのも本当に烏滸がましいくらいながやけど、Jリーグの歴史においては最重要人物であり、彼がいなかったら、サンフレッチェ広島、FC岐阜の歴史はないし、森保一監督を始めとした名将は生まれなかったやろう。

オラはFC岐阜時代の今西和男さんの右腕だった服部順一さん(現福井ユナイテッドSC社長)と短い時間ながら話する機会があって、今西さんの思い出について話されていたのを覚えとるがやね。ほんじゃから、オラにとっても勝手ながら大事な人だと思っとるがよ。

福井にはだいぶご無沙汰ながで、近々行かんなんちゃね…


徳は孤ならず 日本サッカーの育将今西和男[本/雑誌] (小学館文庫) / 木村元彦/著

このタイミングでブログ記事書いてしまうのも、なんかアクセス数狙いっぽくて嫌だなあと正直思うところがあって、どうしようかなあと思っていたりもしたわけやけど、なんかこの時でないと沸き起こらない感情とかいろいろあるちゃ。だから、本当に烏滸がましいとしか思えないがやけど、自分の言葉で記しておくちゃ。

今西さんは、初代サンフレッチェ広島の総監督でよぉ、チームの礎は彼が築いたもんであるちゃね。監督にスチュワート・バクスターを招聘して、その当時の選手は現日本代表監督である森保一をはじめに、高木琢也(現V・ファーレン長崎監督)、横内昭展(現モンテディオ山形監督)、片野坂知宏(現ロアッソ熊本監督)、上野展裕(元レノファ山口FC監督)と錚々たる面々を集めとったがやね。このサンフレッチェの世代の前には小林伸二(現AC長野パルセイロ監督)、松田浩(元ヴィッセル神戸、栃木SCなど歴任)など含めると、今西さんの影響力の大きさを物語るちゃね。

その後は、日本サッカー協会の強化委員会(後の技術委員会)に入って、初のW杯出場を目指す日本代表に携わっていたがやね。当時の加茂周監督の解任を進言して、当時の岡田武史コーチが監督に昇格して、W杯出場を掴み取ってよぉ、今西さんは「影の立役者」として評価されたがやね。2002年のW杯後に技術委員は退任されたがよ。

2005年にはJリーグを目指していたFC岐阜の社長になって、クラブを成長させていたのう。ただ、FC岐阜は今西さんが就任する以前から経営状態が非常に悪くて、経営状態の改善に苦闘されとったがやね。それでもなかなか改善されなくて、非常に大変やったがやけど、その間で地域活動にすごく力を入れていてよぉ、それがFC岐阜の礎になったがやね。

ただ、木村さんの著書によると、Jリーグクラブライセンス制度導入に伴い、深刻な財政難が解消されない中、当時の筆頭株主の岐阜県・岐阜市に経営責任を問われて、辞任をせざるを得ない状況になってしまったがやね…。あの頃に木村さんの著書を読んでて、本当に衝撃だったのを覚えているちゃ。

今西さんについては、光の当たる場所というよりも、日陰での活躍…というように表現はできるちゃね。ただよぉ、彼が見出した指導者はよぉ、かなり多くの方が活躍しとるように、人物を見る目がすごく際立っているのが分かるちゃね。それにJリーグが取り組む社会貢献活動の「シャレン!」も今西さんが礎を築いたもんやし、Jリーグが提唱した「地域密着」の精神は、まさに今西さんが具現化したものと言えるやろう。

彼は「サッカー選手である前に良き社会人であれ」という言葉を残されているがやけど、これはサンフレッチェ広島、FC岐阜はもちろんのこと、多くのクラブに大きな影響を与えているもんであり、日本のサッカー界のコアになっとるとオラは思うちゃ。

何度も書いとるがやけど、オラが彼について語るのは、本当に烏滸がましいと思うくらい、頭が上がらんちゃ。本当に感謝やちゃ。

今西和男さんの御冥福をお祈りいたします。どうか今後ともJリーグ、日本のサッカー界を天国から見守ってください。

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この記事を書いた人

とれぱん先生のアバター とれぱん先生 ブログ管理人

富山県の入善町に在住やちゃ。
2019年までプレーしていたハンガリー代表GKガボール・キラーイを応援しとったがいちゃ。今は地元のJリーグチーム、カターレ富山を中心に、いろんなスポーツを見とんがよ。バレーボール(KUROBEアクアフェアリーズ)、ハンドボール(アランマーレ富山)なども応援しとって、最近はクリケットもチェックしとるちゃ。料理、ギター、イラスト、温泉・サウナめぐりなども好きやちゃ。やわやわと頼んますちゃー

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