なんかいろいろ面倒くさいがやけど、ちょっこし書いておくちゃね。
スポーツ・文化イベントの自粛が相次ぐ中、東京芸術劇場の芸術監督を務める劇作家で演出家、俳優の野田秀樹さんが1日、「公演中止で本当に良いのか」と題した意見書を発表しました。https://t.co/FruACOtrhI
— 毎日新聞 (@mainichi) March 1, 2020
「芸術の公共性とは?野田秀樹さんの劇場公演自粛に関する意見書への演劇関係者の反応」https://t.co/5VQhqLUGQm
がきてるみたいっ。別に気にならないけどねっ。・・うそ。 作成者:@tg_editor— Togetter(トゥギャッター) (@togetter_jp) March 4, 2020
確かに生計立てんなんちゃね
野田秀樹さんの言わんとしとることはわかるちゃ。
公演収益でご飯食べて行ける方々やったら、例え感染症が蔓延しとる状況であっても、そりゃ中止させたくないもんやろう。劇場でお客さんを入れるということは、「劇場で演劇体験してほしい」というとこに尽きるやろうし、演出家にしても俳優にしても、基本的に「対観客」という意識やし、俳優と観客が同じ場所におることに、大きな価値を持っているのは違ってないことやろう。それで生計立てとられるがで、まあ必死になるもんやちゃね。
言う必要がなかったじゃー
しっかし、余計なこと言ってしまったのう。「スポーツイベントと違って」まで言う必要性がなかったじゃ。
ほんじゃって、プロスポーツも根本的に同じことやからのう。選手をはじめに支える方々にとっちゃ、いかに「観客に凄いところを見せてカネを稼ぐ」に尽きるからのう。そりゃ、スポーツファンからしちゃ、スタジアムでの体験とか、素人が到底できそうやないプロのスポーツ選手のプレーにカネを出しているわけやし、関係者もそれでご飯を食べておられるがやから「おめーさの言うことオラどまと何が違うがよ」…ということになってしまうし、そこに「演劇はスポーツイベントと違うちゃ!」という納得できる根拠がなけりゃ、まあ批判が大きくなるもんやろう。
TOKYO MX開局25周年×青二プロダクション創立50周年Symphonic Drama 『火の鳥 〜黎明編〜』無観客公演、
本日無事に収録終了致しました。
皆様のあたたかい応援の言葉を胸に、全力で舞台に臨みました。素晴らしい映像作品をお届けします!
ご声援本当にありがとうございました!!#青二50th火の鳥 pic.twitter.com/1Ry5TT4lxT
— 青二プロダクション【公式】 (@aoni_official) March 1, 2020
それにコロナの影響で自分の好きなイベントを中止や延期に追い込まれたもんにとっちゃ、多少は神経質になるもんやちゃ。あと、自分から「身勝手な芸術家たち」と言ってしまうのもよくないちゃね。その文字だけでそう印象付けさせてしまうからのう。それに別会場で青二プロダクションが無観客公演をやっとる以上は、さすがに苦しいかと思ったのう。
主観よりシステムを軸に語るべきやろう
https://twitter.com/yakiben13/status/1235256536114528257 https://twitter.com/yakiben13/status/1235263431680327681
ということで、函館ナチャーロを応援されておられる、フォロワーのやきべんさんがツイートしてくださったがいど、職業的な分類にしても、国語辞典での意味にしても、定義から考察していっても、根本的に「興行が成立しないと経済的にやばい」のが何も変わってもないがやね。野田さんがこの辺りをもう少し意識しとらっしゃったら、また全然違う結果になったのかもしれんちゃ。
物凄い誤解。アマチュアはその通りだけどプロスポーツの場合は観客から「お金を徴収する」のが目的であって試合をするのは手段です。演劇をするのも試合をするのもその点は同じです。お客さんがいなければプロスポーツは成立しません。 https://t.co/EAzmTqkSft
— わか@わかの観戦日記 (@WAKA_77) March 4, 2020
演劇のファンが主観で違いをいくら言っても、どちらも興行である以上、システム的に同じながよ。自分の考えを中心に置く以前に、システムを理解した上で語るべきやろう。システム上違わないもんを違うと言ってしまったら、こういう結果になるわけやちゃ。
うっかりながけ?
野田さんへのパッシングが厳しいのは、オラとして自業自得かと感じるとこやけど、まさか「感染症が業界を脅かす」なんて数カ月前には思ってもなかったやろうし、いくら演出家であっても、思わず言ってしまったのかもしれんのう。
オラとしては若干「野田さんに対して少し神経質やないかな?」と思えるとこはあるがいど、他のジャンルの方々にしても数ヶ月前は「感染症で見られなくなる」のは想定していなかったことやし、普段よりもピリピリしてしまったとこはあるやろう。ある意味、野田さんもコロナウイルスのことで平然で考えられる精神状態やなかったかもしれない…というところはオラ個人としては若干頭に入れておきたいとこやのう。
本人より擁護者に引いてしまうちゃねえ…
しっかしよぉ、野田さん本人がどう思っていられるかは別として、擁護している側の意見が実に痛いのが多いと思うがやね。単純になぜこれが批判されているのか理解もしていなければ、他のジャンルにしても「興行で生計を立てている」という全く揺るぎないところを頭の中に入っとらんで、ひたすら「野田さんが批判されていることに反応して怒っているだけ」ながやね。
入れないほうがよかったと、あなたが思うのは自由です。しかし、すでに放たれた言葉なので、「入れないほうがよかった」という感想に、わたしはあまり意味を見いだせません。 https://t.co/TMFtY63XMN
— 豊崎由美@アンチ維新 (@toyozakishatyou) March 4, 2020
ほら。これなんか本当に何も理解できてないがよ。それどころか「私はそうじゃないと思ったから、そうじゃないんですー」と言いたげな感じながよ。まあ個人でそう思ったら別にそうでもいいがやけど、内容を把握しないで自分の思っていることを言っている人のTwitterのタイムラインとか、とても平和で長閑で暢気なものにはならんやろうとは、容易には想像できるもんながいちゃ。
利害が絡む問題ちゃ、声を荒げてしまうのは十二分に想定できることやし、中身に建設性がなければ尚のことやちゃね。 https://t.co/SaSo6t2ziC
— とれぱん先生🇳🇫 (@torepan_sensei) March 5, 2020
この野田さんのことで一番批判されているとこちゃ、実にシンプルながよ。
「他のジャンルを下げて自分を持ち上げる発言をした」
これに尽きるやろう。そんなことは利害に関係する人にとっちゃ、大なり小なりあんまし良い顔をしないのは誰にだって言えることながやね。それにスポーツで生計を立てている人もそうやし、スポーツで力をもらっている人にとっても、なかなか看過されない発言にはなるちゃね。
https://twitter.com/kuzira24_sub/status/1235721835699826688私も最初は野田秀樹氏の意見書のあの一文に激昂した人間ですが、野田秀樹氏を擁護する他の方の意見の方が雑で酷くて、だんだんと野田秀樹氏の意見書に対する怒りの気持ちとかなくなってしまったなぁ。もともと、あの一文が余計なだけで、総論は理解できたしね。。
— 事務カリー(大掃除垢) (@zimkalee) March 6, 2020
上記の豊崎由美さんとか特にそうやけど「他のジャンルを下げた」というとこをスルーしとんがやね。擁護する側の意見ちゃ、批判されている内容は無視して自分の言いたいことだけを並べていく人が多くいるがで、オラからしたら「野田さん自身よりファンが痛い」としか思えんかったじゃ
擁護者の熱が大きいと引けなくなるちゃ
演劇ファンが野田さんのこと一生懸命擁護しとるがやろうけど、当の本人は「しまったなー」とか思っとるかもしれんがやぜ。周りの擁護する熱があまりにも大きすぎたら、野田さんも引くに引けなくなってしまうちゃね。
お仲間がどう必死に取り繕うが野田秀樹の「スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません」はこれ以上無いレベルの失言なのだから下手な擁護で傷口を広げずに大人しく撤回謝罪させればいいのに、それが出来ないって身内や理解者以外を「下に見ている」からなのかねぇ
— 右近衛少将𝕏 (@RunForTheR) March 6, 2020
野田さんも演劇ファンのために良い顔しとかんなんとこやし、演出家も俳優もファンにはかっこいいところを見せてやってこそ、ご飯を食べられているのは確かやろう。カネ払ってもらっている人には、自分の弱いところちゃ、あんまし見せないようにするもんやからのう。ただ、これはジャンル問わず同じこと言えるがいど、みんな人間やから、弱みが滲み出てしまうことはあるもんやちゃ。
…と考えたら、擁護する側としちゃ、もうちょっこし良い言い方はあるやろう。
「感染症で興行ができんがになるとか想定もしとらんかったやろうのう。野田さんももしかしたらパニックになっとるとこはあるかもしれんちゃ。この『スポーツイベントと違って』はうっかり言ってしまったがかもしれんちゃ。ただ野田さん悪気ないと思うがいぜ。演劇も中止に追い込まれたらご飯食べられんがやぜ。必死ながやぜ。そこんとこ分かってくりゃっせま…」
という感じに模範例を考えてみたがいど、みなさんどう思われるかのう?良い感じやないけ?
カリスマへの否定ができない人達
まあ今回のお話に関しちゃ、野田さん本人はともかくとしてよぉ、擁護する人が本当に痛いと感じてしまうがいど、なんでこういうことになっとるかと思ったら、同業者の唐沢俊一さんがこういうツイートされとったがやね。
演劇界のトップはほぼ全員カリスマで、カリスマは「無謬性」をその条件にする。それは舞台上に独自の論理世界を構築するにはプラスに働くけど、一般社会との論議のやり取りをほぼ、不可能にしてしまうんです。カリスマを求める支持者たちがまず、無謬性の否定を承知しない。 https://t.co/zxJ6VvjB5b
— カラサワ (@cxp02120) March 6, 2020
「無謬性(むびゅうせい)」とはあまり馴染みのない言葉やけど、無謬は「思考や判断に間違いがない」ことであって、最初から「間違えがあってはならない」と考えることながいちゃね。権威主義的な価値観の人にはありがちなことながよ。
この件だけじゃない。この10年間、インテリに向ける憎悪とひがみ根性は増すばかり。うんざりだ。
— 豊崎由美@アンチ維新 (@toyozakishatyou) March 3, 2020
いくら演劇界で偉大な人であったとしても、人間である以上は、何かしらの間違いはあるがやし、最初はカーっときていた人も、今では「スポーツイベントと違って」も単にうっかり発言やったんやないかと見る人が、オラの見える範囲ではあるがいど今は結構多いがやね。
ただ、崇拝する対象が批判されてしまったら、若干のミスがあったとしても、そのミスはないことを前提として話してしまうがやね。演劇界は同業での批判はしないで、カリスマを持ち上げて、みんなで褒めあって醸成されたところはあるんやろうと感じるがいど、同時に「権威有りき」の人が出てきてしまって、議論ができんがになってくんがいちゃ。
批判する人達にとっちゃ「傲慢に見える部分を取り除く」くらいで済むような話やけど、擁護する人達の脳みそは「傲慢に見えない」「傲慢はありえない」「言いがかりだ!」の一辺倒ながで、こりゃ議論になるわけがないちゃね。
しかし、豊崎さんの「インテリに向ける憎悪と僻み根性は増すばかり」というインテリジェンスを感じられない発言もなかなか香ばしいちゃね。インテリだって間違える可能性あるがに、インテリだって悪いことしてしまうこともあるがに、無条件に持ち上げている姿が本当に滑稽ながいちゃ。
カラサワ氏のツイートは必見やちゃ
十数年前、私が初めて作・演出をした舞台の、若手の出演者が稽古に咳をしながら参加した。危ないなと思っていたら、果たしてユニット中に蔓延し、主役の女優さんがうつされて喉をやられ、公演中盤まで声が出ない状態だった。これに懲りて、以降、風邪を引いたら一週間稽古休みがうちの決まりである。
— カラサワ (@cxp02120) March 1, 2020
天下の野田秀樹に逆らうようなことを言うのも気が引けるが、数週間やそこら、いや数ヶ月、たとえ数年間、劇場が使用できなくとも、演劇は死なない。芝居を演じたいという情熱、その演技を観たいという情熱を持つ者がいる限り。日本中の演劇人よ、意を安んぜよ。
— カラサワ (@cxp02120) March 1, 2020
今回の出来事で最も収穫やと思ったのちゃ、この唐沢俊一さんのツイートを見られたことながやね。演劇にしてもスポーツにしてもよぉ、いろいろ無茶なことやらせて、それが美談になることがよくあったりするがいど、カラサワさんのところは「風邪引いたら休む」という当たり前なことをちゃんとやっとられる方がおられるのを知るのは良かったと思うちゃ。
そういうのを当たり前にやった上で、舞台でお客さんに演技を見せていくのは、素晴らしいプロフェッショナルやと思うがよ。野田さんが危惧するものもよく理解できるものやけど、野田さんのは「客に見せる場所」であって、カラサワさんは「演じる人・関係者・監修の健康」というところに焦点を当てとるがで、この双方の観点は大切やと思うがやね。
悲痛の訴えもまたいいがやけど、劇場が使えなくても情熱を絶やさない姿勢も良いがいちゃ。
無用な分断は誰も得はせんちゃ
あともう一つ「スポーツイベントと違って」は避けるべきかというのは理由はあるちゃね。
「スポーツと違って」で、野田さんを知らないスポーツファンにとっては、良い印象を抱かず、演劇と距離を置くとオラは考えますちゃね。
スポーツのファンとしては、他ジャンルのファンも来て欲しいがで、安易に敵を作る言い回しは避けるちゃ。双方リスペクトし合ったほうがお互いのためやないかと https://t.co/IKdAFbgFRj
— とれぱん先生🇳🇫 (@torepan_sensei) March 4, 2020
普段からJリーグを見ている側の人間としちゃ、他のスポーツとの合同企画やったり、スタジアムのイベントでも様々なコラボレーションをやって、双方を興味もたせるのをいろいろやっとんがやね。サッカーのスタジアムであらゆるイベントを行うのちゃ、普段サッカーを中心とした生活を送っている方々に、他のジャンルにも目を向けてもらおうとか、逆に他のジャンルのファンに一度サッカーを見に来てもらおうとか、違うジャンルが組むことでお互いを高めあっていこうとする狙いがあるちゃね。
4/29(土・祝)は #カターレ も #グラウジーズ もアウェイゲームで時間もちょうど良いので合同パブリックビューイングを開催します!サッカーとバスケットボールが一緒にやるのはおそらく日本初🇯🇵✨ #kataller #grouses pic.twitter.com/OlRSitvrcY
— カターレ富山 (@katallertoyama) April 14, 2017
例えばサッカーのカターレとバスケのグラウジーズが合同でパブリックビューイングやったのとかのう。ちょうど良い時間にお互いがアウェー戦やったがいど、サッカーとバスケの双方のファンが同じ会場で地元のプロチームを応援する機会でよぉ、いい感じに盛り上がってたがやね。それぞれの競技のファンは一つだけ見る人もおるがいど、ユニフォーム両方共持ち込んでどっちも応援するスタイルの人もおって、良い企画やったと思ったじゃ。
イベント交流の回数はそんなに多いというわけやないがやけど、富山で県内のスポーツチームが集まってよぉ、サスケみたいなことやってたりするし、プライベートでもお互いの選手が応援しにいくことがあって、Twitterとかで見てると良い雰囲気になってきとると思うちゃね。
まあ一部で双方をあーだこーだ言う人はおるがいど、Twitterで双方が応援するツイートしとったら、ファンだって気にするようになってくるがやし、異業種交流は本当にプラスになることが多いがやね。
そう思ったらよぉ。やっぱし「○○と違って…」というのは、本当に気をつけないといけないと思うちゃね。演劇の世界を知らない人にとっちゃ、野田さんの発言で避けるようになった人もおられるやろうし、それこそ上記の豊崎さんみたいな熱狂的な人だけしかついてこなくなって「演劇の死」に近づいてしまうんやないかと思うがよ。
逆に演劇の界隈がスポーツ界と交流していった方が、お互いが交流したジャンルに興味を持つようになっていくがやし、プラスになることは多いちゃね。
どっちも薬やってしまうがやね
さて、余計な話したところで、本題と入るとするかのう。
根本的にどっちも「薬物」という問題があったりするちゃね。若干の狙いの違いはあっても、根本的にどっちも誰かが薬やってしまうがよ。全員が全員、そういうわけやないがやけど、必ずそういう人が出てくるがやぜ。
演劇人もスポーツマンも、どっちにしても「凄いところを見せる」ために、薬に走るのはあり得ることながよ。
前者の演劇人に関しちゃ、下手な演技はできんし、凄まじい集中力は求められるし、配役になりきることが求められてしまうし、舞台でテンションを上げていくとか、逆に日常に戻るためにテンションを下げるとかで、やっぱり薬に手を出してしまったりすんがいちゃ。
後者のスポーツマンもまた、目先の記録を出すとか筋肉をつけていくとか、いろいろあるがやけど、馬術とか射撃でもドーピング違反を見ると、やっぱしメンタル的なところで薬を使ってしまうがやね。この辺りは演劇人も同じながやろう。
どっちの客もよぉ、そのスポーツマンの人間離れしたものを見てよぉ、「凄い」「感動した」「楽しい」という感情を抱いてしまうがいちゃ。そりゃ薬やってりゃ悪いことやけど、バレてなけりゃ、客にとっちゃ、薬の有無関係なく「凄いものは凄い」がやぜ。1988年の五輪の記録が未だに破られていないジョイナーにしても、薬物が疑われてはいるがいど、今も全然そんなの証明されとらんわけやから、記録も消えることはないがやし、凄いもんは凄いもんながいちゃ。
薬がバレてしまったら、みんな手のひらをひっくり返して、パッシングの雨嵐になってしまうがいど、薬がバレてなけりゃ、素晴らしい演技をやったもんも、凄まじい記録を出したスポーツマンも称賛されるもんやし、カリスマも生まれることだってあるやろう。薬やるのは悪いことやけど、見ている人に強いとこ見せるためにやってしまうもんが多いがやね。
モナゲ(tipmona)ってなに?
そもそもMonacoinってなに?
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