中邑真輔がWWEのロイヤルランブルで日本人として初優勝したがいちゃね。長いことプロレスファンで、WWEも好きなオラやけど、新日時代から長く見てきた中邑真輔が、古くはハルク・ホーガン、ショーン・マイケルズ、ストーンコールド、ザ・ロック、ジ・アンダーテイカーなども優勝したあのロイヤルランブルを制覇するとは本当に半端ないことやちゃね。
そんで女子初のロイヤルランブルは、これまた日本人のアスカが優勝しとんがいちゃ。この方も日本におる頃から凄まじい人でよぉ、男とバリバリに試合やっとるくらいやったし、とにかく異彩を放つ方やったしのう。WWEに入ってから、240連勝しとんがいど、それだけ説得力あることしとるじゃ。本当に半端ないちゃ。
そんなことながに、ちょっこし空気ぶち壊しの発言があったみたいやちゃ。
また炎上「本気の戦いなんですか?」 プロレスファンを敵に回した古市憲寿氏 https://t.co/gF5K2ySU55
— リアルライブ (@reallivenews) February 6, 2018
発言のリスクを考えたら釣り合わんちゃね
まず一つはこれやちゃね。
社会学者とかコメンテーターに、そもそもリスクというもんがあるのやろうか。少なくともプロレスのように、一歩間違えたら死ぬようなリスクとか背負っているわけやないし、どんだけ論破されて惨めな思いをしようが、命を落とすようなことなんて、まず無いからのう。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) February 4, 2018
ぬくぬくと温室でコメント残しているもんが、一歩間違えたら死んでしまう(殺してしまう)プロレスを「本気なが?」と語ってしまうのは、釣り合わない発言ではあるちゃね。
そう思ったら、「コメンテーターちゃ、何も語れんがになるがやないが?」と思われるかもしれんねど、そんなことでもないやろう。常人に出来んことをやっとる人をリスペクトできるかどうかの話やけど、日本ちゃ、そういう面においては、やや欠けている面があるがか知らんがやけど、「見たまんま」で凄いとか言えんとこはあるんかと感じたりするがいちゃ。
昔のプロレスとか、ボディスラムで3カウント奪える時代があったがやけど、実際問題、相手を持ち上げて背中をマットに叩きつける技が大技やと思われたがやから、当時の人からすると痛そうに思ったがやろう。それは今だと痛くないかといったらそういうわけやなくて、むしろ鍛えてもないような人がやられたら、骨折してしまうちゃね。
100kg以上ある人間を持ち上げたりよぉ、コーナーポストから華麗な飛び技をしとるのちゃ、やはり鍛えていないとできんことながで、それを「本気」かどうかを疑うのちゃ、ちょっこし感覚麻痺しとるがか、自分と照らし合わせて考えられんもんか…と感じるわけやちゃ。
本気の定義ちゃ、何け?
何かにいろいろ攻撃的になっとるもんちゃ、結構多いもんやけど、その人達が使っている言葉の定義ちゃ、ちゃんとしっかりしとるのかどうかちゃ、ツッコミどころではあるちゃねえ。「本気?」と指摘するがなら、「本気」の定義を説明できんかったら、ただ叩きたいだけに過ぎんやろうし
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) February 9, 2018
遠巻きに見とる人間が迂闊に発する言葉ちゃ、ちゃんと説明できらーか微妙なところはあるちゃね。「本気」という言葉がどういう意味を示すがか?…とか、そういうことになっていくがやけど、そこら辺の説明次第でどういうものになっていくのか、話もえらい変わってくるとこやろう。
ただ、こういうのちゃ、曖昧にしたまま語ってしまう人に釣られて、「プロレスは本気」かどうかで語ってしまいがちな面はあるやろう。TVのコメンテーターとかにありがちな話ながいど、何かコメントを残して、おっかしなことがあっても、司会者とか「どういう意味ながですか?」と聞き返すようなことはなくて、予定調和的に終わらせる感はあったりして、どうしても浅いところまでしか触れられんかったりするがよ。
「本気」という言葉を限らずよぉ、自分が使う言葉の定義があやふややったらよぉ、論議に値するものやなくなるちゃね。Twitterとかで相手を下げるためによぉ、印象に残りやすい言葉を使って、レッテル貼りをするもんがおったりするがいど、それに近いものはあるやろう。
今の御時世は「自分の好きを選べる」やちゃ
「プロレスは八百長」みたいなことちゃ、オラが小さな頃から言われてきたことながで、今更何を言われても、怒りもせんし、「またかー」みたいな感じに思うくらいではあるちゃ。
ただよぉ、80年代くらいにそういう話が湧き上がっていた頃ちゃ、プロレス団体といっちゃ、新日と全日くらいで、今ほどあらゆる格闘技が見れるもんやなかったがで、彼等の言うような「本気の戦いが見たい」という声ちゃ、割と大きくなっても仕方ないかなと思うとこはあるちゃね。そういうとこを求める格闘技ファンちゃ、当時新しかったUWFに走ったわけやし、パンクラス、リングスとか見ていって、90年代中頃からは総合格闘技とかに進んでいくわけやちゃね。
80年代を賑わせたUWFちゃ、「ロープに振ると帰ってくる」とか「胸を張り合って打撃を打ち合う」とか「レフェリーを誘導させといてセコンドに攻撃させる」とか、プロレスならではのムーブに対しての疑念から始まって、キックとか関節技とかが中心に格闘技色が強いものに派生していって、それが爆発的な人気を誇ったがいど、当時としちゃ、斬新やったがやろうのう。
そのUWFも方向性の違いによって、各派閥に分裂していっていくがやけど、先人たちがいろいろ道を模索していった結果、あらゆる格闘技イベントが開かれて、人それぞれの好みによって、選んでいける時代になっていったとオラは感じるちゃね。この辺は話したら長くなってしまうがいど、主要の新日と全日しか無かった時代やと、プロレスも他の格闘技と一緒くたにされる時代やったがやろうけど、今はそうでない空気は感じるちゃね。
新日がK-1とか総合格闘技に寄っていった暗黒の時代ではよぉ、プロレスリング・ノアが純プロレスで人気を博して、東京ドームや武道館でビッグマッチを連発しとった時代を通過しとる身としちゃ、結局のところ、プロレスのファンちゃ、プロレスを求めておることに違いないが、明らかに違うものを提供されたら、離れていきやすいもんかなと思ったりもするちゃね。
プロレスにしても他の格闘技にしても共通して言えるのは「客に本気」
プロレスにしても総合格闘技にしても相撲にしても共通することちゃ、カネを出すお客さんが求めるものに、本気で応えていくもんやろう。それが所謂セメントならそれでいいがやろうけど、それでそれぞれのお客さんが良いと言えるのかのう?
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) February 7, 2018
最後に一つ言えるのちゃ、あらゆるスポーツにも言えることやけど、やっぱし見に来ているお客さんが求めているものに対して、「本気」で取り組むのちゃ、プロレスでも他の格闘技でも同じことが言えるちゃね。
プロレスも老舗団体が幅を効かせていた70年代とかと違って、80年代のUWFで違う色を出す団体が出てくりゃ、90年代には電流爆破マッチで人気を博した大仁田厚のFMWやったり、デスマッチ団体の大日、地域密着型のみちのくプロレスや大阪プロレスとか、2000年代やとイケメン揃いのメキシコルーツのドラゴンゲートやったり、あとはいろいろおもっしいことしとるDDTやったり、いろんなものが出てきたがやね。それぞれがそれぞれの色を出して、それぞれのファン層が求めるものに、本気になって取り組んどられるがいちゃ。
それが仮に「本気なの?」とか曖昧な指摘をされたところで、喧嘩みたいな試合をやられたところで、お金を払って見に来たお客さんが満足されるもんかといっちゃ、そうとは限らんやろう。
ほんじゃから、古市さんというコメンテーターさんちゃ、どっかの温室のスタジオでぬくぬくとしゃべるだけやなくて、自分が求める「本気」といえる団体を選んで見ていけばいいんやないかと思うがいちゃね。それがその団体の支えになっていくわけやし、彼自身が疑いを持って見ているプロレスよりも、もっと繁栄していくもんかと思うがいちゃ。
モナゲ(tipmona)ってなに?
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