地域CL決勝ラウンドはコバルトーレ女川推しやちゃ

いろいろ書きたいことあったがやけど、あんまし更新できんだのう。
本当は全社も観に行ったりして、ちょこちょことサッカー観に行ったり、はたまたどっか観光しとったり、イベントへ行ったり、カレー食べたり…いろいろながいど、本当はブログは定期的に書いていきたいと思っとるがいちゃ。

目次

地域CL決勝ラウンド決定やちゃ

A VONDS市原、サウルコス福井、鈴鹿アンリミテッドFC、松江シティFC

B アミティエSC、高知ユナイテッドSC、TIAMO枚方、三菱水島FC

C テゲバジャーロ宮崎コバルトーレ女川、FC刈谷、十勝FC

決勝ラウンドはVONDS市原、アミティエSC、テゲバジャーロ宮崎、コバルトーレ女川の4チームが進出やちゃね。本当は北信越のサウルコス福井が昇格してほしかったがいど、第3戦目で負けてしまったがやね。A組ちゃ、全社優勝の鈴鹿アンリミテッド、準優勝の松江シティと、えらい激戦区やったのが本当に厳しく感じるちゃ。Bには、カターレからレンタルされとる馬渡隼暉、前カターレの内田錬平とおるちゃね。テゲバジャーロは石崎監督が率いて、デカモリシと高地がおるちゃね。

そして、今回はコバルトーレ女川に触れるちゃ。

去年の地域CLに富山にも来とったコバルトーレ女川

去年の地域CLちゃ、第1ラウンドが富山開催ということでよぉ、アルティスタ東御、FC刈谷、三菱水島FC、コバルトーレ女川が来とったがやね。結果としちゃ、三菱水島FCが突破したがいど、それぞれがいい試合しとって、地域CLの緊張感とか醍醐味とか味わうことができたのう。

そんで去年はオラが見ている場所の近くによぉ、コバルトーレ女川のサポーターの方がおられて、上記のもんを見させてもらったがよ。これは石巻日日新聞のコバルトーレ女川の記事やけど、選手の紹介とか今までの試合の情報とか、ぎっしり詰まった中身の濃いもんやったじゃ。

これはJリーグでもなかなか無いがやないかのう?なんか地域を挙げて応援しとる感が出てていい感じやちゃね。WCCFとかカードゲームみたいな感じで選手が紹介されとんがよ。

これだけで熱くなったのう。

スポーツを通じた街づくりを掲げとるちゃ

コバルトーレ女川ちゃ、2006年に設立したクラブやちゃね。人口2万人を切る女川で、サッカーを通じて街づくりを掲げとられるがよ。

オラは1回、小学校の頃に旅行で女川に行ったことがあって、原発の施設に入ったり、現地の祭りに行ってみたり、海産物を食べたりして、細かいとこまでは記憶にあるわけやないがいど、いい思い出はあるちゃ。マグロとかウニとかクジラとか食べた覚えがあるちゃね。

女川とともに生きる | コバルトーレ女川
http://www.cobaltore.com/together.html

コバルトーレ女川に関しちゃ、オラがどうこう言うよりちゃ、オフィシャルページの「女川とともに生きる」を読んでいただいたらいいちゃね。

女川の人にとっちゃ、いきなし「サッカーしに来た人」がわが町にやってきたのちゃ、すごく異質に見えたがで、えらい苦労しとったがやと。選手もなかなか馴染めないとか、前途多難ながやね。そこを地域の活動や町の清掃をしてよぉ、町との距離が縮まって、町の人や職場の同僚が応援に来られるようになったがいちゃ。

そこで2011年3月11日の東日本大震災がやってくるがやね。

大震災によってよぉ、震源地に近いとこで女川に甚大な被害が出たがいちゃ。選手寮は全壊したがいど、選手全員は無事やったがいど、2011年は活動を中止せんなんがになったがやね。

その間に選手の多くが働いてた水産加工業の「高政」の商品を非常食として渡したり、稼働再開後に作った商品を避難所に配ったりして、給水車で水を配ったりもしたがやね。

そしたら、町がコバルトーレ女川の活動再開に後押ししてくれて、1年で再開されたがやね。「チームが地域に生かされている証拠」と書かれとったがいど、まさにそうやちゃね。スポーツで街を盛り上げる役割をコバルトーレ女川が背負っているがいど、町とサッカーが支え合っている姿は、こみ上げてくるものがあるちゃね。

YKKに在籍されとった泉田さん

コバルトーレ女川のことは、震災が起きる前から知ってて、「人口が少ないとこでも、Jリーグを目指すとは凄い」みたいな感覚で見てて、オラが住む入善町(人口約25000人)と重ねて見ることがあったがいちゃ。

このクラブを知るきっかけになったのちゃ、YKKとアローズ北陸が合併して、カターレができるときやちゃね。その時にレギュラーを中心に約半分の選手ちゃ、カターレでプレーすることになったがいど、そうならんかった選手もおって、その一人が、去年引退するまでコバルトーレ女川でプレーされとった泉田圭太さんながよ。

泉田 圭太(IZUMIDA KEITA) | コバルトーレ女川 http://www.cobaltore.com/team/keita_izumida.html

GK3人おって、カターレへ行ったのちゃ、初代正GKになる中川雄二だけで、セカンドGKの青木大輔さんは富山新庄クラブ(2015年まで)で、泉田さんは元YKKの藤島さんが監督されとったコバルトーレ女川へ行かれたがよ。震災があった2011年も女川に残り続けて、引退される2016年まで選手やったがやね。

引退された後も女川に残って、高政の管理職に就かれて、農林水産祭の天皇杯を受賞されたがやと。サッカーをやめて、蒲鉾で天皇杯を取られるのは、本当に素晴らしいちゃ。

会社とチームのつなぎ役になりたいと泉田さんはおっしゃっとる通りで、サッカーのためにいろんな土地へとんどられとる人達のセカンドキャリアとして、高政を紹介できると選手紹介に出てたがいど、彼も合併によって富山から去って、女川町で根を下ろされとるのが、コバルトーレ女川の理念を体現されとると感じるがいちゃ。

セカンドキャリア付きのチームとして働き手を呼び寄せる

これ、コバルトーレ女川が創設された当初のビデオやけど、今も言っとられることが変わっとらんのう。すごい貴重な映像やちゃね。

若者離れが進んどる女川で、サッカーの力で盛り上げようとしとるのが、ものすごい伝わってくるクラブやちゃね。小さい町の中でソシオ制度を取り入れて、町民みんなで盛り上げて行こうとする、まさに「手作りのチーム」やちゃね。サッカーしに町に来とることで、最初はギャップがあったがいど、サッカー選手が仕事でも懸命にやることで、正社員の方々にも張り合いが出てくるようになったがいと。

それが前述の泉田さんのように、引退後に管理職になってよぉ、天皇杯を受賞されるようになるし、貴重な人材を確保していく形は、本当におもしいし、同じく人口減少していっとる入善の人間としちゃ、自分にも刺激になってくるがいちゃ。

吉田選手が「サッカーを通じて女川の人口を増やす」と言っとられるがいど、これはまさに地域密着の理念に通じとるちゃね。それにサッカーで女川を盛り上げて、外に女川の名前を広めようとされとる。彼らのようなクラブちゃ、もしかしたら日本のスポーツ文化にも大きな流れを作るきっかけにもなるかもしれないと、オラは感じとるがいちゃ。

残り3試合。強敵ぞろいでJFL昇格も厳しい道のりやけど、町の人達とともに本当に頑張ってほしいと思うちゃ。

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