最近話題になっとるガンバのナチスを連想させるようなフラッグについて、ちょっこし書くちゃね。
ナチスを連想させるもんがダメかどうか
サッカーは
・既得権益層に嫌われているので何かあると風当たりが強い(野球や相撲なら特に問題化されずうやむやでいける)
・グローバルシーンの一部なので人種人権系の話にはかなり繊細な配慮が要求される
という構造の中にあるわけで、それをわかってないJのサポーター多いと思う— レジー (@regista13) 2017年4月20日
まずこの点やけど、オラは「良くないこと」の一点で尽きるちゃね。サッカー観戦を楽しみにしとる場で、あんなのを見ると気分が悪くなる人が多いのもそうやし、それゆえにチームのイメージダウンに繋がるからのう。今やとインターネットですぐに広がっていく世の中やから、そういったマークなんてすぐに知れ渡ってしまうからのう。
実際問題、日本で生まれ育ってきたもんにとっちゃ、ナチスのやったことの重大さちゃ、どんなもんながか分かっていても、世界がどのように見ているかまでは分からんかったりするのが実際のとこやと思うちゃね。ほんじゃから、過去にガンバのフロントさんが注意したにも関わらず、また出てきたりするがいど、これも周りは止めようとしてないことも考えると、世界を敵に回すまでのことかまで捉えとるかは難しいかもしれんちゃ。
オラも実際のとこ、日本で生まれて日本で育ってきたもんやから、「ダメ」という認識にしても、「差別の象徴として忌み嫌われる」という感じながで、欧米やとどんな感じで教育受けとるわけやないがで、説得力のある理由を言えたもんでもないちゃね。
ただ、オラとしちゃ、サッカーを楽しんで充実したいがで、人に迷惑かけるもの、リスキーなものは持ち運ぼうとすら思わない…といったとこやちゃね。
模倣はあくまで自己責任ということやのう
日本人がユニオンジャックやらゲバラやらSSやら、外国のものを模倣したフラッグを使うのちゃ、やっとることが浅く感じて、あんましカッコよく見えんがやね。逆にアーティストやアニメからやと、作成者が本当に好きながやと感じるちゃね。欧州かぶれより痛ゲーフラの方が気持ち伝わる気はするちゃ
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) 2017年4月21日
見た目がかっこいいから模倣する行為自体ちゃ、別に悪いとも思わんがいど、外国人が感覚的に面白漢字Tシャツ着とるのと変わらん気はするちゃね。そこにマインドが無いみたいな… pic.twitter.com/bTRL2HdjHx
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) 2017年4月21日
この件についてオラが引っかかるのちゃ、「欧州のものそのまま持ってきて何がかっこいいがよ」と思ってしまうとこかのう。完全にオラの主観ということで捉えて欲しいとこやけど、遠巻きでスタンドを見てたらよぉ、「声が出てて熱いのう。フラッグもいっぱいで雰囲気あるじゃー」とか思っとったりするがいど、これが近くなると、「ん?ユニオンジャック?ゲバラ?何でながけ?」…と思ってしまうがいちゃ。かっこいいかどうかの前に、「なんでユニオンジャックながやろう?」とどうもクエッションマークがついてしまうちゃね。
「そういうとこに文句は言われたくはない」とか、ゴール裏におるもんにとっちゃ、そう思うかもしれんし、出しちゃいけんものを出さなければいいだけやから、別に海外を模倣しようが自由には違いないちゃ。ほんじゃけど、これは見て捉える側も、何を思うのかは自由である以上、何を言われるかは覚悟はしとかんなんかと思うちゃね。「冷奴 Cool Guy」のTシャツを日本人が笑ってしまうように、海外から見たら笑われるようなことをやっとるかもしれんしのう。
ほんじゃけど、考えは様々やからのう。「ユニオンジャックもゲバラもゴール裏にあっても、うちは思想は自由やから」と言ってしまうのもありやし、もしくは「日本のパンクは大阪発祥やから」とか、オラどまの思っとるようなことを超越するような理由を作ってしまうのもいいかもしれんちゃね。
ただ、痛ゲーフラの方が理由言わんでも「この人はアニメ好きながやろうなー」という感じに見えるがで、ただ「かっこいい」からユニオンジャックを掲げとるよりも、なんとなく気持ちが見える気がするがやね。
なんせ作ってしまう前に、一呼吸入れて、ちょっこし考えてみるだけで違うがやろうのう。
旭日旗の是非は当事者同士でやって他を巻き込まんでいいちゃ
昨日、水原と川崎の試合で、旭日旗が出たことで騒がれとったのう。
まずはこの話に関してやけど、旭日旗の是非以前に、相手サポーターが詰め寄ってきたせいで、オラの知人が大変な目に遭っとると心配になったのう。とりあえず旭日旗云々とかそういうのはともかくとして、オラと交流したもんまで巻き込まんといてくりゃっせま…と言うことやちゃね。
旭日旗を出したら怒り出すみたいな話ちゃ、今に始まったことやないけど、考え方が様々やから、出す人と怒る人の個人同士の問題で片付けて、他を巻き込まんといてくれま…というのが正直なとこやちゃね。
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
そんで旭日旗の是非についてやけど…オラもよぉ分からんのが正直なとこで、意見は様々でこれも明確な定義は存在せんもんやと感じるちゃね。オラも在日韓国人の知人がおるがいど、その人ちゃ、別に旭日旗を出したくらいで怒らんとかゆっとったくらいやし、「韓国人も考えは様々やから」と言っとったがいちゃ。
ただオラはそんなとこでエネルギーは使いたくない…という話やしのう。旭日旗の是非よりちゃ、清義明とかダン・オロウィッツとか面倒臭い人が湧いてくるからやけど。もうそうなったらフットボールと言えないものになるちゃね。
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
オラやったら旭日旗を自分で出すようなことは、まずは無いと思うがいど、それは旭日旗の是非がどうという理由はなくてよぉ、ただ面倒くさい人がシャリシャリっと出てきて、フットボールの場でフットボールの以外の話で汚染していくからのう。日韓が絡むとよぉ、どうしてもフットボール以外のことで盛り上がってしまうもんやけど、根本的にピッチ上で起きとることがメインであって、それ以外が汚染させないのは基本かと思うがいちゃ。
積極的に展開しとるダン・オロウィッツや清義明について
そんで言いたい放題になってしまっとるダン記者についてやけど…。アレはアメリカ人特有の主張したがりなとこと、ユダヤ人であることと、そしてジャーナリストという面のトリプルコンボやから、こうなってしまう…と捉えた方がいいやろうのう。
別に彼のことは何も反対もせんし、オラとしちゃ「あー怒っとるのう」と思うくらいやけど、「吹田スタジアムはナチスマネーで建てた」とか、言い過ぎやちゃね。余計に敵を増やすだけで冷静さが感じとるだけやからのう。ほんじゃけど、トリプルコンボになると、人間ちゃ、こういうもんになるのかもしれんちゃ。オラは日本で生まれ育ってきたもんやから、そこを自分のモノサシで考えがちやけど、向こうは違う文化で育ってきとるがで、スイッチが入ってしまうとこも違って当然やろう。
そもそもジャーナリストという生き物ちゃ、割りと構ってちゃんなとこあるがで、真っ向から発言しとることに対抗するよりちゃ、相手にしない方がいいかもしれんちゃね。よく「好きの反対は無関心」と言われるがいど、同時に「嫌いの反対も無関心」やないかとオラは思うわけやし。
ダンなんちゃらを見ると、旭日旗が上がったら、これ見よがしにガーガー言うがいど、アメリカ人ちゃ、そんなノリの人が多いちゃね。自分達が思っとる正義を強硬的に貫こうとするがよ。
別に正義を主張するのは人の勝手ながいど、オラが知り合ったムスリムで強硬的なもんは見たことないちゃ。
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
SSやハーゲンクロイツにしても、出したもんは問題あるのは間違いないがいど、ここで忘れられんのは、欧州人と日本人やと認識にギャップがどうしても存在することやね。そこを踏まえんと高圧的になるのは感情は分かれど、非建設的やからのう。
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
あの人らのダメなとこは高圧的で意見が反するもんを見下す、成敗するみたいなノリであって、すでに争いを起こすことを前提にしとるとこやしのう。同調するもんに安堵感を覚えさせるとか、物腰の柔らかい方が伝わる場合もあるわけやけど、そのテクニックが皆無やからのう。主張よりも能力の問題やちゃね
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
ただこの方ちゃ、怒りに任せて、カーッと騒ぎ出すことはできても、「なぜナチスの模倣はダメながか?」を、事の重大さがよく分かっておらん方々にも、上手く伝えられるようなアプローチちゃ、ほとんど出来てないとオラは思ったのう。生まれも育ちも違うもんやと、そこで罷り通っとる常識とか違ってくるもんやから、「愚か者」と叱りつけるよりちゃ、もっと論理的によぉ、背景も説明した上で、理解をしていただくというアプローチもあるかと思うがやけど、この人からそういうのは見たことも無いちゃね。
何でもかんでも、高圧的になるようなのちゃ、捕鯨船に突撃かますシーシェパードとかとやっとること変わらんと思うがいちゃね。アメリカが絡むことになると、常識の違いを理解せんと、正義を貫こうとするとこは、よくある話やと思っとるがいど、そういうのを見ると、剛柔を使い分けないといけんかと思うがいちゃね。
これは何を主張するかの以前に、どう伝えるかの能力の問題やけど。
何を掲げようにも結局は自分のためやちゃね
オラからしちゃ、SSやナチスはフットボールには当然不要やけど、ダン・オロウィッツも清義明も不要やからのう。
— とれぱん先生@入善フラワーロード (@torepan_sensei) April 26, 2017
オラが「不適切と言われる」旗などを掲げるのは良くないと思う理由ちゃ、そのことへの是非がどうというか、自分が得しないという考えがほとんどやちゃね。いろんな人を敵に回してしまうのは当然困ることやけど、ああいうのを飯の種としとるような輩もおるがで、余計に面倒くさくなる…ということでもあるちゃね。
「フットボールを楽しむ」という原点は、やっぱし常に意識していかんなもんやちゃね。そこをもっとプリミティブに楽しんでいくというアプローチこそ、反差別に繋がっていくもんかもしれんちゃね。
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