最近、ヴィーガン絡みでなんかまた騒がしいことになっとっちゃね。
ヴィーガン給食が揉め事になっとるちゃね…
バズフィードジャパンとか、ヴィーガン給食を絶賛する記事を書いているがいど、実際Twitterで見る医療関係者のツイートを見ていると、非難しとるのが多いちゃね。
「なぜヴィーガンなのか?」といったら、多くは「動物愛護」の視点で語られるものが多いがやけど、あともう一つは「畜産による温暖化や草木の減少」などの環境面で語られることが多いちゃね。
これは前者に関しては、所詮は「人間によるお気持ち論」にしか過ぎないと思うがやけど、後者については科学的な根拠に基づき、考察しないといけない部分もあるかなー…と思うのがオラの考えやちゃね。
ほんじゃけど、成長期にはタンパク質、鉄分、カルシウム、ビタミンDは積極的に取らないといけないし、貧血とか栄養不足などのリスクを考慮したら、やはりバランスを考えないといけないやろう。ヴィーガンがいくら理想的やと思っていようが、それは生命があってこその話というのは忘れられんちゃね。
インドのベジや精進料理から習えばいいちゃ
しかしよぉ、肉を食べない生活というのが実践できている文化があるかといったら、世界を見渡したら結構あるもんやちゃね。
特にその代表格といえるのちゃ、全人口の4割がベジタリアンと言われているインドやろう。ヒンドゥー教の教えに忠実な人々がよぉ、肉を食べない生活を送っていて、それが数千年の歴史によって、いろんな形で形成されてきとるがやね。
これは全部ベジメニューながいちゃね。米類や豆類などの加工食品の種類が多くて、煮込みや発酵させたものも多くて、混ぜたら味変もするというものやちゃね。これをインドの方々は手で泥遊びをするような感覚で食べているがいど、それが本当に楽しいものながやね。
あとは精進料理やちゃね。
過去に「永平寺の精進料理」を借りて読んだことあるがいど、殺生をしないで料理することは苦行ということやなくて、やはり楽しむものとして考えられているのがいい感じやったのう。
「もどき料理」なんて特にそうやけど、作っている人も楽しいしよぉ、何よりも食べる人も楽しいのが良いちゃね。こういうところから考えたら、肉や魚などを食べない料理にしても、基本とすることは「料理・食事を楽しむ」というところにあるちゃ。
無理しないことも大切やちゃね
ただよぉ、これは無理しないことが大切やちゃね。
オラは僧侶の友達がいて、インドにもしょっちゅう行かれる方など知り合いはおるがいど、僧侶はパキスタン料理が好きで、たまにチキンやマトンのカレーを食べて良いことにしとるし、インドへ行かれた方から聞いた話でもよぉ、やはり隠れて肉を食べることがあるらしいちゃね。
いくらベジタリアンとか殺生をしない…とか言っても、やっぱし無理しないことが大切であって、たまに肉を食べるのは良いとしているがやね。精進料理にしても、インドのベジにしても宗教と繋がっているところはあるがいど、あくまでも「自分への修行」という自主性の元で動いているがで、自分がアリだとするならアリ…としているのは、オラは良いと思うちゃ。
まあ、ヴィーガンを名乗るアカウントでも、このように「ヴィーガンチートデー」を挟んでいるのちゃ、オラは良いことやと思うちゃね。毎日徹底してヴィーガン食を続けているよりは、やはりたまにチートデーを挟むことで、自分が続けていかれるようにするのちゃ、オラは良いことやと思うがいちゃ。
ヴィーガンは料理を愛しとるがけ?
そういうように考えたらよぉ、ヴィーガン給食というのちゃ、子どもたちに「まずい」と言わせてしまっとる時点で、大きな間違いというのは明確やちゃね。
「肉を食べない」というのは別に良いがやけど、やはり料理というのちゃ、作っているものにしても、食べている人にとっても「楽しい」ものでないといけんがいちゃね。それが限られた大人の自己満足だけでやらされるのちゃ、作っている人も食べている人も幸せにはならんやろう。
ほんじゃから、ヴィーガン給食を取り入れている校長先生というのちゃ、本当に料理自体を愛しているのか疑問に思わざるを得ないちゃね。「食べること」「料理すること」自体をつまらなくて辛いこととする原因になるだけで、豊かな心を育てられるものにはならんやろう。
ヴィーガンのみなさん、料理を愛しているがですか?
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