とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

「寿司の国」ちゃ、差別ながけ?

こんなニュースが出てたじゃ。

室屋成選手が所属しているハノーファーの試合を実況したアナウンサーがよぉ、移籍後初ゴールをのがしたときに「彼のゴールは寿司の国のもの」と言って、それが差別発言扱いとして炎上しとるみたいやちゃね。

これについてはオラは「当事者である室屋成選手が否定しているならそうではない」で良いんやないかと思うちゃね。

そもそもの話、こういう話を出ておいて、当事者を置いてきぼりにして、「差別だー」みたいに騒ぎ出すのちゃ、オラからしてみたらマヌケにしか見えんがやね。

そんなもん「当事者が差別ではない」と認識しとるがなら、それで話は終了やし、みなさん解散!…やなかろうか?

当事者置いてきぼりやったら、誰と戦っとるがでしょうか?

まあ、欧州人やったらこんな感じながやろうね…。

差別用語として食べ物を使う文化が根付いとるところやったら、それが「寿司の国」みたいなことを言ったら、すぐに「差別だー」というように騒ぎ出したのかもしれんのう。

ただよぉ、日本の場合ちゃ、食べ物に対しては好意的なところがあって、香川やったらうどん県やし、富山やったらホタルイカやブリとか出てくるもんで、日本が「寿司の国」みたいに言われるのちゃ、差別とは逆に「好意的」に見られがちなところはあるやろう。

そういうように考えたらよぉ、欧州人が「寿司の国は差別語だ!」と声を挙げるような行為自体ちゃ、日本人がどう思っているのかを全く考慮もしていなくて、ただ自分たちの感覚で決めつけとるだけやちゃね。

これは「欧州人の常識は日本にも通用する」と思い込んでいるような、身勝手な意識が出ているもんやなかろうか?

オラなんかは「当事者次第」というところを重視しとって、その人自身の受け取り方が全てやと思っとるがやけど、どうやらそうでない人が結構多いがやね。

「まずは当事者から」というのを徹底するのが良いと考えるオラからしたらよぉ、当事者そっちのけで、何でもかんでも言葉狩りのように「差別だー」と叫ぶようなもんちゃ、大きな隔たりがあると感じられるのう。

当事者を置いてきぼりになるのが当たり前になってきてよぉ、そういうのが幅を効かせるようになったらよぉ、オラは「これは誰のための反差別なの?」みたいなことになってしまわんかと思うちゃ。

一個人を尊重しないで、反差別を訴えるのは、誰のためながでしょうか?

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