とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

反差別や多様性を主張する人には「利益誘導」を感じさせられるがいど、本来なら「一個人を一個人として向き合う」ところにあるちゃ

オラとしてはちょっこしバズったツイートがあるがいちゃ。

一個人は一個人やないけ?

Twitterとか見てて思うがやけど、誰もかれも「一個人を一個人として向き合えない」というのが如実に出てしまっとるという印象が強いちゃね。

近頃はジェンダーがどうとか、マイノリティがどうとか言われてきとる世の中ながいど、オラの考え方はこの辺りはこういうように考えとんがやね。

マイノリティ以前に一個人やないけ?

こないだも書いたがやけど、オラは特定の属性として決めつけるもんやなくて、まずは「一個人は一個人である」というところちゃ、徹底させるべきやないかと思っているちゃね。

近頃騒がれとる、JOCの森喜朗会長の騒動とかも、オラはあんまし乗り気やなくて、他のニュースを隠すために誘導しとるんやないかと感じさせる程度で見とるがやけど、まあパッと見やけど、オラからしたら「一個人は一個人」というのは見落とされておってよぉ、結局「男がー」「女がー」というような主張が飛び交っていて、人を大きい括りのなかに落とし込めて、好き勝手にバヤバヤ言われとる…という感じやちゃね。

まあ「女性というのは〜」と言い出すような森会長もどうかと思うがやけど、それに反応する人が「女というのはね〜」というように返すのちゃ、両者が対抗しているようであって、結局は「属性でものを話してるにか?」としか思えんがやね。

要は「一個人は一個人で向き合う人からしたら、どっちもどっち」ということながよ。

在日であることを告白されたことあるちゃ

これはオラ個人の経験から基づく話ながいど、学生時代によぉ、バイト先にいた韓国の留学生とか、ゲームして遊んでいたときに出会った在日の方とかと仲良くしとったがいちゃ。

その一人に関したらよぉ、最初は一緒に飯を食べたり、どっか遊びにいくくらいの仲良しやったし、年も同じやったがやね。でよぉ、その人と仲良く遊んでいた1年以上経った頃によぉ、「実は在日朝鮮人なんだ」と告白されたことあんがやね。

告白されたときは、オラとしては「あーそうながやね」というくらいやったし、別に「友達は友達やにか」というスタンスのまんまやったがいど、そのときに彼が緊張した面持ちやったのは、今もなお覚えていたりすんがいちゃ。

なんていうか「彼にとっては告白するのは勇気のいる行為やったがやね」…という気持ちになったもんやのう。

まあオラは海外にいろいろ行ってみたいとか思ってたしよぉ、高校のときにアメリカからホームステイで来た高校生と仲良くしてたりしとったこともあって、外国人やからといって、これといって抵抗感はないし、むしろいろんな人と話しとる方が楽しいと思うがで、相手がどこの国やろうが、根本的には「国は国、人は人」というスタンスには変わらんがやね。

ほんじゃから「国籍やら出生やら、そんな括りは取っ払って、一個人として向き合えば良い…」というのは、根底として持つべきやと思っとんがやね。

マイノリティの中も多様やちゃね

これはLGBTとかにも言える話であって、これも結局は「LGBTと言ってもいろんな人達がおられるがやから、一個人は一個人で向き合うしかないがやないけ?」としか思えんもんやのう。

そう考えていったらよぉ、LGBTを大切にしようと過剰に優遇しようとするような考え方の人とかも、結局は「一個人にクローズアップしたら、LGBTの中でも様々な人々はいるもんで多様である」という意味での多様性に逆行することになるかと思ってしまうのう。

ガベージニュースさんに引用されたのが、結構RTされたのかな…と思うところやけど、実際によぉ、マイノリティを優遇させようとする人の考え方ちゃ、まさに「不遇な目にあってきたから、優遇してもいいにかー!」みたいな感じの言い方になる人がいたりするちゃね。

たまーに「マジョリティがマイノリティを侮辱するのはダメやけど、マイノリティはマジョリティを侮辱しても良い」ということを言うもんがおったりすんがいど、そういうもんとか「マジョリティもマイノリティも、根本的には一個人である」というところとは、全く反する意見ながいちゃ。単純にマイノリティがワガママをする権利を主張したいだけにしか見えんやろう。

結局「反差別」「多様性」とか高々と主張しとるもんちゃ、理不尽に「括り」で判断するというところに声を挙げているわけやなくて、特定の手段による「利益誘導」が透けて見えてしまうがやね。

要は「反差別」「多様性」とかゆったところで、根本的なところが抜けているような人達ちゃ、どっかに裏があって「利益誘導」やったり「政争のため」に振る舞っているがであって、本当に実現しようかどうかは、疑いの目を持ってみないといけないと感じるちゃ。

完璧にできんでも気をつけることやちゃ

というオラもそこまで完璧にできるわけでもないがやし、時には「○○という界隈が〜」みたいに括ってしまうことはあったりするもんやから、簡単なことやないと感じるもんやちゃね。

ただよぉ、やっぱし「立ち返る場所」ということで、どんな人でも「一個人として向き合う」というのちゃ、心に止めておいて置くのが大切ながやと感じるのう。

逆にその部分で心に止めて置いていない人間に関しちゃ、どちらにしても「属性で人を判断する」という意味では、差別主義者と変わらないといえるやろう。

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