とれぱんふっとぼーる

とれぱん先生がお送りする、ワールドフットボールブログやちゃ

ヴィーガンに必要なのは「食生活の提案」やちゃ

ここ数年、ヴィーガンが浸透してきとるちゃね。「完全菜食主義」という意味で、動物性のものを全然摂取せんがやと。

ほんじゃけどよぉ、時々過激な人が出てきて、中には肉フェス会場前で訴えるもんがおったり、フランスやと肉屋や牧場を襲うような輩もおったりするがいちゃ。まあTwitterとか見てても「これはキテるちゃね」と思える人はたまに見たりするのう。そういうことで今回はヴィーガンを考えてみたじゃ。

ヴィーガンの主張「動物愛護」

この2つのサイトから見て思ったことを言うと、理由は大きく2つあって、一つは「動物愛護」であって、もう一つが「環境問題」ながやね。

1つ目の「動物愛護」の側面やけど、まあこれに関しては「人間は動物を食べなくても生きていける」というところながやね。同時に「動物は痛みを感じるのがダメ」というところに繋がるがで、痛みを感じていない植物を食べよう…という感じながやと。

これは何ながやろうねえ…。「クジラやイルカには知性があるがやから、それを食べてはいけない」という反捕鯨とかイルカ漁反対派みたいな感じながかのう。それが拡大していったら、牛も豚も鶏もダメ…みたいになってくんがでしょう。

おそらく昆虫もダメ!…ということながやろう。

こちらが主流派やろうけど、正直こればっかしは「この人達の主観ながでしょ?」で終わってしまいかねない話かと思うのう。人間は「生き物を食べないと生きていけない」生物ながいど、動物も植物もどちらも「生き物」ながやね。どちらにしても「(命を)いただきます」という感じで食べるもんやし、それが動物が良くて植物がダメとか、まあ人間のエゴも良いところやろう。

「動物愛護」に訴える圧が強いところが「宗教」と揶揄される理由ながでしょう。そりゃ「押し付けるなよ」という反発は招くちゃ。

ヴィーガンの主張「環境問題」

もう一つの理由が「環境問題」ながやね。

これは結構問題点があって、まず家畜一頭を育てるがに、相当な牧草地が必要になってくるところながやね。あとは水も必要になってくるしよぉ、同時に家畜のゲップなどで温室効果ガスも結構出てくるみたいやちゃね。

うーん。これはそれなりの統計とかエビデンスは必要になってくるところやし、それはしっかり吟味して考えていかんなんとこやけど、地球環境に大きな負荷を抱えてしまっているところは、あまり無視することもできんやろう。

とはいえ、そこでヴィーガンの人達が「じゃあ肉食ヤメレ!」みたいに先鋭的になるのちゃ、食肉に携わっている方々の仕事をなくしてしまって、ある意味「食肉業界の人は死ね」と言っているも同然ながで、過激なとこに走りすぎるのちゃ、あんまし良いこととは言えんちゃね。

思想だけで人はついてくるもんやないちゃ

そんなことからよぉ、ヴィーガンちゃ、なんか主張が強いもんがおって、中にはえらい過激な行動に走ってしまうようなダラな人がいるがやね。

根本的に押し付けるもんは、ダラやと思うちゃ。真性のダラやろう。

何でかと言ったらよぉ、そのヴィーガンを実践しとる人がよぉ、いくら動物愛護とか環境問題とか唱えたところでよぉ、そんなのは「意識が高い人達の主張」としか言いようがないからのう。

動物性の食品を摂取しない生活がよぉ、そうじゃない人にとっても魅力的なもんやったら、そりゃヴィーガンは広まっていくもんやろうけど、実際はみんな肉や魚は好きやろうし、屠殺するところを見ようが見てないやろうが、それが「美味しい」と思えるもんやったら、そっちの方が上回ってしまうもんやからのう。

要はいくら「可哀想」とか言いまくったところでよぉ、所詮その人達の「主観の押し付け」に過ぎんもんやし、単なる理想主義者にしか見えんがやね。

ヴィーガンには「料理の追求」が足らんちゃ

それならよぉ、ヴィーガンはどうしていけばいいのか?…と考えたらよぉ、そりゃ「肉食を敵にする」ということよりも先に、まずは「ヴィーガン料理の創造」に尽きるんやないかのう?

群馬県前橋市の「チャカラカ」のベジミールス

パキスタン・インド料理研究をライフワークとしとるオラにとっちゃ、インドのベジタリアン文化の奥深さを強く感じるがやね。

インドちゃ、人口の約4割がベジタリアンと言われとってよぉ、中には「繁殖を妨げる」という意味で根菜すらも禁忌とする人もおったりするくらいの人もおるがやね。

富山市「チョリチョリ」のサディーヤ(予約限定)

この上にあるインドの定食「ミールス」ちゃ、全部肉は使われてないがやね。サディーヤという南インドのケララ州における祭り事で、こういった料理を食べる文化があるらしいがやけど、まあ彩りも凄ければ、味のバリエーションもすごくてよぉ、混ぜたら味も変化がすんがで、これは本当に「ご飯がすすむくん」ながいちゃ。何よりも「食事が楽しい」がやね。

肉を食べないとどうしても「物足りなさ」を感じてしまうものやけど、これぐらい鮮やかなもんで、「辛い」だけやなくて「酸っぱい」「苦い」「甘い」などもいろんな味があるだけに、これやったら肉がなくても「物足りなさ」は感じんがになってくっちゃね。

「味処髙千代」の五箇山豆腐ステーキ
「味処髙千代」の五箇山豆腐の厚揚げ

それによぉ、五箇山豆腐のような伝統料理もなかなか良いがやね。衣つけて厚揚げにしてもいいしよぉ。分厚いがやからステーキにしても美味しいがやね。インド料理みたいにいろいろ手をこまなくても、シンプルな形で美味しいものとかたくさんあるがで、こういうのをもっと広めていくようにしたら、楽しいヴィーガンライフも楽しめるんやないかと感じるちゃ。

肉を食わないなら、肉を食わないなりの食の楽しみ方を追求すりゃいいちゃね。日本の精進料理やインドのベジミールスで培われた食文化を見てて思うことやけど、食事は高い理想だけで実現するもんやなくて、やっぱし「食事を楽しむ」というところを忘れてはいけないと、改めて感じるちゃ。

毎日実践よりマイルドがいいちゃ

ただよぉ、インドに行った人にいろいろ聞いたところやと、習慣でベジタリアンとして生活しとるもんでも、時々肉を食べたくなることはあって、そのときは「隠れて食べる」ということはあったりするみたいやちゃね。

まあ、人口の4割がベジタリアンであるインドでさえ、そんな感じながやね。日本でも仏門に入る人も完全に断ち切っとる人ばっかしだけやないがで、無理強いしていくのも良くないことやと感じるちゃね。

そう考えたらよぉ、完全菜食主義というヴィーガンとか、ただの「痩せ我慢」にしか過ぎないように感じられるちゃね。人それぞれの可能な限りで、実践を求めていく方が現実的やし、同時にやっとるもんもわざわざ苦行をしとるようやと、その人自身が「ヴィーガンライフを楽しめていない」ように見えてしまうがやね。

結局人間とは、いろんな思想があったりしても、飯に関したら「上手いもの食べたい」「楽しく食事をしたい」というのは変わらんがやね。そういうのを考えていったら、ソフトランディングで「まずは週1回でも」という感じでよぉ、少しずつ広めていく方向にするのが良いやろう。

過激ヴィーガンは足を引っ張るだけやちゃ

そう考えたらよぉ、押し付けがましくて、過激行動に出てしまうようなヴィーガンちゃ、世間に対して不快感を与えているだけで、ヴィーガンの理解を深めるのとは逆に、イメージダウンをさせているちゃね。

そんでもヴィーガンを実践する人はおって、実際そういったヴィーガン対応の飲食店が増えてきとるがいど、理解を深めることを目的にするがなら、普段は肉や魚を食べているような人でもよぉ、ヴィーガン向けの料理を体験してもらえるようにした方が、ヴィーガンを提供する人にとって、利益につながってくるがやね。それが肉屋を襲うとか肉フェスの前で啓蒙活動するようなことするもんちゃ、ただの押し付けがましい連中にしか見えずに、逆にヴィーガンに抵抗を持つ人は出てくるやろう。

世界中におるイスラム教徒が、イスラム圏の国でないところで「豚は排除しよう」「酒はなくそう」みたいなことを言うもんちゃ、ほとんどおらんやろう。ほんじゃけど、過激なヴィーガンはダラやから、そこに踏み込んでしまうわけやちゃ。

オラが思うに、どんな立派な理想を掲げても、美味い飯なら食べてもらえるもんやし、まずい飯やったら食べてもらえんもんやから、とにかく「美味い飯を作る」というとこをもっと追求すりゃ、勝手に広まるがやろうと思うちゃ。

ほんじゃけど、過激な行動に走ったりするのちゃ、単純に「ヴィーガン食なんて他人に理解してもらえるわけがない」「ヴィーガン食は美味くない」など、自分たちの食事に自信を持てていないからやなかろうか?

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