「アクタージュ」関連でここぞとばかりで湧いてくる野次馬共に不快感を感じるちゃ

「アクタージュ」の連載打ち切りが出た後に、作画の宇佐崎しろ先生がツイートしとるちゃね。

まずは被害者への配慮やちゃ

一人のファンとしては、宇佐崎しろ先生の意志を尊重するだけやちゃね。ファンがそれぞれ考えていることが多少の違いがあったとしても、基本的には「作者が決めること」に尽きるちゃ。

作品が続いてほしいからといって、さすがに犯罪を肯定するようなことは言うべきやないし、ましてや勇気を出して声を上げた被害者を責めるような発言はするべきやないやろう。

まずは被害者を思いやることと、犯罪を肯定しないことやろう。

ファンはどう思ってもいいことやちゃ

ただ被害者がどう考えているのかは別として、アクタージュのファンの方々がよぉ、「連載を継続してほしい」「いつか再開して欲しい」「原作を変えてでも続きを見たい」と思うことは自由やなかろうか?

ノンスタイルの井上さんのことをどう思うかは人それぞれやろう。オラは別にこの人好きなわけやないがやけど、アクタージュに関して発言している内容は、特に批判されるようなことでもないと思うのう。

それにブログでの文章には「制作に携わった全ての方、そして何よりも被害者の方が許して下さる日がもし来るのなら、その時はアクタージュの続きを読みたい」と書いてあるがいど、まあ至極当然ながでしょう。彼は彼なりに制作に関わる方々や被害者への配慮を感じさせる表現をしとるちゃ。

ただ「アクタージュの続きを読みたい」だけを切り取ってしまうような読解力が欠如した人が騒いでいるように感じるちゃね。わざと読まないのか、元々読解力がないのか知らんがやけど、こういうちゃんと読まない人は切り捨てて、重要な要点は切り落とすようなことをしないで欲しいもんやちゃ。

マスコミもこういう無能な輩は幅を利かせてはダメやなかろうか?さほどコメントが書かれているわけやないタレントのブログで、ごく少数の「おかしな批判」を、まるで大多数のように見せようとするのは、正直気持ち悪いちゃ。

原作者が性犯罪を犯したからといって、その人が作った作品に魅了された人間がよぉ、「続きを見たい」と訴える行為自体は、犯罪でも何でもないからのう。そう思うファンの思いを否定するのであれば、それはオラは「表現の自由」を否定する行為やと思うし、単なる言論封殺に過ぎないと考えるちゃ。

それが「被害者への配慮になっていない」がなら、その人が被害者から言質を取ってくるべきやろう。それに「被害者への影響」を懸念するがなら、宇佐崎しろ先生のコメントが出た時点でスクープにするマスコミにも同様の批判をしないと、理屈が通らんがやないかのう_?

「被害者を思いやる」ことと「被害者を代弁する」のは別モンやちゃ。

勝手に代弁してマウントを取ろうとしたり、ここぞとばかりに誰かを責め立てる行為をするもんは、1ファンであるオラからしたら「薄汚い存在」かと心から思うちゃ。

文章読めないで噛み付く人に合わせたらダメ

以前「世紀末リーダー伝たけし」の島袋光年先生が少女買春で逮捕されたときによぉ、盟友で「ONE PIECE」の尾田栄一郎先生がジャンプの巻末コメントでこういう発言しとるちゃね。

「夏といえば怖い話。そりゃ世間の言う通りですが、人の立場の変動により、とたんにキバをむく人間の形相が僕は一番恐い」

これは今でも同じことを言えるやろう。

この尾田栄一郎先生のコメントにも結構批判はあったみたいながやけど、とりあえず「世間の言う通りですが」と書いてあるがやから、後半部分だけ切り取るような反応をするのは、それはそれで「読解力のない人の言いがかり」も同然やなかろうか?

というか、そもそもの話、批判するべきものは「犯罪行為」だけながやね。ましてや「敵を増やすこと」ではないがやし、そこいらへんが脳みそ働かんがいちゃ。

まあ文章では犯罪を肯定しとるわけやないがやけど、読み手が「犯罪を肯定しているように思え」たら、攻撃のスイッチが入ってしまうがで、それで炎上気味になってしまうがやけど、周囲やマスコミはそういう人に合わせたらダメかと思うちゃ。それは知性を否定することになりかねんからのう。

「何かを好きになる」のはリスク

ずっと「アクタージュ」を追ってきたものとしたら、事件が起きたからといって、ここぞという感じで湧いてくるような人って、正直腐っていると思うちゃ。

オラはWWEが好きで、2000年代前半ではクリス・ベノワが好きやったがやね。レッスルマニア2004のメインイベントでベルトを戴冠したシーンは本当に感動したもんやちゃ。そんな彼が後に家族を道連れに無理心中してしまって、今では公式からデータが消されるまでになってしまったがいど、やはり感動を覚えたファンが多かったのか、無理心中と過去の実績を切り分ける意見が多かったがやね。

一度でも「感動を覚えた」ものとか、仮に作者が犯罪行為をしたとしても、簡単に否定できるようなもんやないちゃ。それできっぱり否定できた方が「嘘つき」に見えてしまわんまいかと思ってしまうちゃ。

プロレスラーにしても漫画家にしても一般人にしてもそうやけど、人前に出て何かをやっている人達ちゃ、何もかも欠落していない完璧な人間というわけやないがやね。ほとんどの人が「犯罪行為をしない」ように気をつけるもんやけど、中にはどこか外れてしまうような人が出てくる可能性は、何であってもゼロとは限らんもんやちゃ。

そう考えると「何かが好きになる」「何かのファンになる」というのちゃ、リスクなのかもしれないと感じるちゃね。

読者でもないのに感情でキバをむく人

ただ人間って、本当にダラな生き物ながか知らんがやけど、ちょっとでも擁護と取れるような意見を言った人に対して、えらいキバをむくような行為に走るもんがおったりするし、なんか問題に対してピンポイントに批判することよりも、感情で走ってしまうところがあったりすんがやね。

オラからしたら、そんな人達って、性犯罪に対してでも真面目に考えられているのかどうかすら、すごく疑わしいと感じるがやね。

事件が起きたから、そのタイミングで誰かを悪者にして、自分が気持ちよくなれれば良い…みたいな感じやね。ほんじゃから、全く言う必要もないようなことでさえ、いろいろ要求したりするし、ろくに考えもなしに「犯罪者だからすべてを奪ってしまえ」みたいに感情的に走りがちながよ。

本当にくだらないことやと思うちゃ。何かが好きになるようなことはなくて、ただ「悪者が出てきたら叩く」ことで快感を得ているような人ちゃ、オラからしたらすごく惨めやと感じるがやね。

人は何かを責め立てる姿勢になったらよぉ、自分がマウントを取るために都合よく言葉を切り取ったり、別に犯罪者でもないファンの気持ちを否定する行為に走ったり、直接被害者に聞いたわけやないがに勝手に代弁するとか、人としてどうかと思う行為に走りがちながやね。

正直そういう輩が結構やばかったりするがいど、攻撃的な行為に走るのは、こういうもんかもしれんちゃ。心から軽蔑するちゃ。

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