とれぱんふっとぼーる

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それでも「アクタージュ」が好きながよ

2020/08/14

原作のマツキタツヤ氏が強制わいせつ罪により逮捕されたことで、ジャンプでの連載打ち切りが決定した「アクタージュ」についてやちゃ。

アクタージュ

オラはこの漫画の熱心なファンながいちゃ。今のジャンプでちゃんと読んでいるのは、この「アクタージュ」と「チェンソーマン」くらいやちゃ。

喫茶店やネットカフェへ行って、漫画をチェックするオラながいど、たまたまジャンプの新連載の表紙が目に入ったがで、新連載の頃から見ているがいちゃ。新連載の頃からあまりチェックする習慣がないオラからしたら珍しいがやけど、オラにとっては「アクタージュ」と「チェンソーマン」は第1話からチェックしとるちゃ。

バトル漫画が多いジャンプにおいて珍しい「女主人公」「演劇モノ」やったことで、仮に打ち切られても最後まで見ておこう…という感じで見とったがいちゃ。最初は「ん?」と思うところもあったがやけど、役に没入しすぎるがあまり、周囲の人間を自分の役に引き込むような常人と違う演技をする主人公の夜凪景が成長していくストーリーは、結構見ごたえがあったがやね。

なんせ「役に没入しすぎて、肝心の台本通りの演技ができず暴走する」というところから始まっとるもんやから、オラが見てても「危うい」と思った漫画やったじゃ。

それが決定的になったのは演劇「銀河鉄道の夜」編やったのう。各キャラクターの心理描写と夜凪景が演じるカムパネルラの描写に圧倒されてしまったがいちゃ。作画の宇佐崎しろ先生は本当に天才ながやね…と見てたがいちゃ。

マツキタツヤ氏の逮捕

土曜の夜に突然ニュースが入ってきたがいど、正直本当やと思えんかったがやね。一晩寝たらそれは無いものではないかと思うくらい、信じたくないニュースやったのう。

自転車で追い抜きざまに女子中学生の胸を触った…という悪質なもんで、原作のマツキタツヤ氏が概ね認めてしまったがやね。逮捕の時点で罪は確定していないものの、許されない行為には間違いないやろう。

その事件があった2日後には、連載打ち切りが決定して、昨日は演劇化プロジェクトも中止が決まって、LINEスタンプも消えてしまっとるし、ファンとしては辛い状況が続いとるちゃ。

連載可否の是非

先日からアクタージュ関連のツイートをし続けているがいど、連載打ち切りに関しては、基本的には「仕方ない」というのが今の感じながやね。

ただそれは「社会的影響力」といったものではなくて、あくまでも「作画の宇佐崎しろ先生の決断」であることは強調しておかないといけないのう。

この事件があったあとに、Twitterをはじめに、何も発信していない宇佐崎しろ先生についてはいろんな憶測が飛んどってよぉ、中には「原作と不仲」なんていろいろ出てきとるがいど、それについては過去のツイートだけでの推測にしか過ぎんし、むしろそれでも連載を続けているのは「プロフェッショナル」やないかと思われるがいちゃ。

オラも含めて「続きを見たい」人にとっては、もちろん「原作を変えて連載を継続」と思いたいところながいど、今後のストーリー展開などの構想をマツキタツヤ氏だけしか知らないようなものがあるとしたら、物理的に「継続は不可能」になってしまうものながでしょう。

ほんじゃから、オラとしては「継続希望」ながいど、宇佐崎しろ先生が「不可能」とするなら、それは受け入れざるを得ないと考えるちゃ。

ただ仮に宇佐崎しろ先生が「再開したい」というなら、それは歓迎するべきかとオラは思うし、マツキタツヤ氏が罪を償った後に再開するがなら、オラは応援するつもりでいるちゃ。

まずは「法での裁き」を

こういう事件が起きるたびに、オラはいつも冷静にならないといけないと考えるがやけど、それは「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の原則「推定無罪」を重視しなくてはいけないことやちゃ。

そのことを考慮したら、仮に作者側が仮に継続の意志があったら「罪が確定するまで連載継続」が妥当なところやろう。日本は法治国家である以上は、すべては法によって決められるものであって、そこを逸脱する制裁は認められんちゃ。

それに原作者が逮捕されたからといって、連載を止めるようなところになってしまうと「連帯責任」に過ぎず、何も罪を犯してもない作画や編集部までが制裁を受ける…という状況になってしまうがいちゃ。こういうものは単純に「やらかした人だけが法の手続きを経て制裁を受ける」もんであって、

「連載を止めるべき」と考えるがなら、既存の政治家に働きをかけるのか、自分が議員になって、法律を変えていく…というプロセスこそ、法治国家としてあるべき形やないかと考えるがいちゃ。法治国家の原則としては「社会的制裁=法の裁き」やないといけなくて、それを超えるものは「私刑」にしか過ぎんがいちゃ。

つまり連載の可否については、あくまでも「作者側の意志」と「集英社と作家の契約」がすべてであって、法律上、逮捕された時点で連載を止めないといけないというルールなどなければ「社会的制裁」によるものではあってはいけないとオラは考えるちゃ。

被害者へのケア

こういうことがあった以上は、やっぱし考えていかないといけないのは「被害者へのケア」やちゃね。

外野から見ているだけでは、被害者はどう思っているのかが見えんがで、安易な推測は禁物やちゃね。まずは被害者の立場を考慮して、被害者に寄り添って、どうケアしていけばいいかと考えるべきかと思うちゃ。

それが日本ではなぜか実際に被害者の声を聞いたわけやないがに、なぜか被害者の心理を代弁するという「被害者を勝手に作る」というのが横行しとるがで、なぜか「連帯責任は妥当」などの言葉が飛び交ったりすると感じられるがいちゃ。結局「犯罪者からは何でも取り上げたらいい」としか考えてなくて、非常に浅薄い感情論かと感じられるちゃ。

それならアクタージュの単行本の収益を被害者へのサポートに充てるなど、物理的なサポートを考えていくほうがより建設的ではないかとオラは考えるちゃね。

犯罪を犯したわけでない他のスタッフがよぉ、連帯責任で作画やアシスタントなどが収入を失ってしまうのは、過剰な制裁になってしまうがで、それなら原作者が得るはずの収益を被害者のケアに充てる方が良いかとオラは考えるちゃ。

これも「被害者の意志」が大切であって、第三者が勝手に「被害者を推測する」もんではないちゃね。

日本はこういう出来事を起きるたびに、被害者に対しては「心理」を重視するところがあって、あまり「物理的」なところではサポートをあまり考えられないところがあると思うちゃ。そうなると「連帯責任」とか「取り上げてしまえ」みたいな感情的でかつ、思考停止状態も同然の決断に至ってしまいがちかと考えられるがいちゃ。

何があっても「アクタージュ」は大好き

まだ裁判で確定していない状況とはいえ、現状ではマツキ氏が認めている状況下では、おそらく法の裁きを受けることになるやろう。

とはいえ、それがあったからといってアクタージュが「嫌い」になることもなくて、むしろ「好き」を貫いてもいいとオラは思うちゃね。そこには社会の目なんて気にすることもないし、原作が人の道を外れたことをやった人でも、その作品に感動を覚えた事実は消えるわけではないからのう。

それに大好きなものなら「連載継続してほしい」と思うことも自由ながいちゃ。

立派そうに好き放題言う人はおるがいど、オラは心の奥からそういう人達は「くだらない人達」と思っていたりすんがやね。人なんて感動を覚えたものなんて、簡単に忘れられるもんやないからのう。

強制わいせつどころか、家族を道連れに無理心中をした、新日本プロレスとWWEで活躍したプロレスラーのクリス・ベノワが、オラは今も好きやし、2004年のレッスルマニアでの王座戴冠には鳥肌が立つくらい興奮しとったがいど、衝撃的な出来事があっても、人は好きなものを簡単に否定できるもんではないもんながやぜ。

おそらくしばらくは「アクタージュ」は続きを見られることはないやろうし、本屋からも次々と消えていることは覚悟はしないといけないやろう。今はLINEもスタンプも買えんがやし、電子書籍さえも見れなくなってしまうかもしれんのう。

ただ、何があるのかわからん世の中やし、今の騒ぎが収束した数年後くらいには、形を変えて続きは見られるのかもしれないし、そういうこともありうると思いつつ、今持っている単行本を大切に持っていたいと思うちゃね。

続きが見れない喪失感は大きくて、なかなか整理つけられんのが正直なところやけど、とにかく今は「これからも好きで居続ける」ことだけかのう。

いつか続きを見られることを祈って…のう。

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