ジャーナリストの江川紹子さんのツイートを見て思ったがやけど、オラも電話での苦情はどうにかならんかと思うちゃね。
むしろ「電話」で苦情を言う人は「ダラ」と言い切っていいやろう。
苦情を言われて仕方ないようなことをやったとしても、それを電話で伝えようとするのは、ダラのやる行為にしか過ぎんちゃ。手段が限られる時代ならともかくとして、今はあらゆる手段が出てきている中で、わざわざ「電話」を選ぶがやからのう。
ダラでもわかる3つの理由を書くとするちゃ。
電凸する人がダラである3つの理由
オペレーターに決定権があるとは限らん
まず、責任者自体が常勤しているとは限らん以上は、そこに所属している職員が対応するがであって、直接伝えられるわけではない…ということやちゃね。直接自分の声を相手に伝えたいがであるなら、直接自分の足で出向いた方が確率は高いかもしれんちゃね。
リンクを踏むのは自己責任で
https://twitter.com/renho_sha/status/1251509483894829056
この上のツイートは立憲民主党の蓮舫議員がよぉ、全世帯向けのマスクに「汚れ」「異臭」「ゴミ」などがついた不良品があったのを、厚生労働省が発表した報道関係者用の書類をよぉ、そのまんま画像つきツイートしとったがやね。
そこには電話番号がそのまんま掲載していたがやね。これはさすがに酷いのう。そもそも国債を「国民の借金」と言ってしまうような議員やから、いろんなところが抜け落ちている人やと思ったがいど、さすがに国会議員が報道関係者用の書類をそのまんまTwitterに流しちゃうのは、やばい人やと思ったのう。
これを見た人は「蓮舫議員がやったから良いんだ」と思い込んでよぉ、厚生労働省に電話してしまう人はたくさん出てきたやろうね。
ただ電話した先の人間が、マスクを配ることを決めた人でもなけりゃ、マスクの品質管理をするような人でもないがやから、直接わかる人やないがやけど、この議員のせいで、その人ばかりが責められる状況になってしまうことが十分に考えられるちゃ。現場目線で考えたら、ゾッとする話やちゃね。
まずは「相手はオペレーターに過ぎない」というとこやね。
意見を届くかはオペレーター次第
そもそもの話、電話をつないだところで応対する人ちゃ、あくまでもオペレーターやから、その応対した人が責任者なりに伝えられんかったら、まず「電話」という手段を取る意味がないちゃ。オペレーターが疲労して上手く伝えられないことも考慮したら、これほど非効率な方法はないじゃ。
相手が録音してりゃ、そのままテープで渡せばいいやろうけど、その電話で話している内容が意味不明やったら、まず上手く伝わらんがで、電話する側の表現力が問われるちゃ(これはメールでも同じやけど)
もちろん電話が集中しとったら、なかなか繋がらんがやし、電話する側は待っていなければならんがやし、それだけ時間を無駄にすると考えたら、手早くメールで書いてしまうのがいいやろう。その方が関係者のメールアドレスに転送メール送るだけで済むし、その方が確実ながやね。
「正確に伝える」「記録する」という観点では、電話こそ一番使えない手段やというのは理解できるやろう。
電乙する人間が怠慢なだけ
上2つの理由をまとめたらよぉ、結局決定した本人でもなけりゃ、オペレーター次第で全く伝わらない可能性を考慮したら、やっぱし「電凸」ほど非効率で不確実性の高い手段はないやろう。
電話以外の方法といっちゃ、それこそパソコンやスマートフォンなどからメールを送った方が、相手に意見は伝えやすいものやし、仮に普段から使っていなくてもよぉ、メール書くくらいならハードルは低いものやし、それでも苦手なら人を頼っていればいいやろう。
世の中はだんだん便利になってきとるもんやし、あらゆる手段も増えとるがで、別に前時代的な「電話」以外を選んだら、本人にとっても楽な話やけど、なぜか取り入れようとせんがやね…。
「どうしても伝えたい」がなら、不確実で非効率な手段やなくて、自分が足を運んで言い伝えていけばいいやろうけど、所詮「電話」やから、その程度の思いしかないがでしょう。
なぜ「電話」を選ぶのか?
上記の理由で、そもそもメールやなくて「電話」を使うことに、ほとんどメリットもないも同然やけど、どうしてもその手段を使う人が多いがやね。
それは「なぜか?」と考えたら、やっぱし理屈やなくて感情的ながやろう。
メールやフォーラムを書いて送ったところで、相手が即答するわけやないがで、問い合わせる人間からしたら「実感」を感じられんがやろうのう。
そう考えたら、直接伝えられなくても「電話」した方が、問い合わせる人間にとっちゃ、満足感を得られるしよぉ、「私の思いを聞いてくれてる」と感じるのかもしれんちゃ。そういう人がメールで送ったら、やはりムズムズしてしまうのかもしれんじゃ。
こうなってしまったら、電話での会話はいかにも「自分が世の中のためにしている」と思って、立派そうなことを話ししていても、この「電凸」という手段を取っている時点で、結局「話し相手」や「世間」のことよりも、自分を優先しとるも同然やろう。
電話の仕様が変わってもいいのでは?
そうやっていろいろ考えとるとよぉ、極論になるがいど「やっぱり電話はいらない」のでは…と感じるちゃね。
「電凸を規制しよう」という人は少なからずおるやろうけど、これは「表現の自由」という観点から見たら、オラは危うさを感じてしまうのう。
スマホの普及によってよぉ、最近は個人宅だけやなくて、企業でさえも固定電話を持たないところが増えてきとるがいど、時代の流れを考えたら、それは起こるべくして起こっていると思うちゃ。自分の関係する人だけにしか電話は使われないと考えたらよぉ、番号さえ分かってしまえば、個人や企業には関係ない人も電話をかけられる状態になっとるのちゃ、ただの負担に過ぎないと思うちゃ。
クレームを受ける窓口がちゃんとあるがなら、それはメールやったりフォーラムやったりあればいいがやし、個人や企業がわざわざ業務に差し支えがある負担を持ってまでしてよぉ、固定電話まで持つ必要はないと思えるちゃ。クレームはともかくとしてよぉ、片っ端から電話をかけまくるインターネットの回線案内とかも、固定電話をなくせばかかってこなくなるわけやちゃ。
とはいっても、お店とか営業しとる側からしたら、電話は残しておきたい手段の一つと考えるやろう。ただ緊急性を問われるときにしか電話はメリットがないものやから、急ぎのお客まで対応の範疇として考えてもないがなら、固定電話はいらんちゃ。
スマートフォンなどで仲の良い友人や常連だけやったり、提携している業者だけ繋げられるようにしたら良いかと思えるのう。個人で営業している店こそ、パソコンやスマートフォンからインターネットを通じて気軽に予約できるシステムさえ作ればいいだけやと感じるちゃ。
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