タピオカアートに必死に噛み付くフェミニスト(?)が全く理解できない3つの理由

半年前に話題になったネタやけど、いろいろ整理しておきたいがで書いておくちゃ。

オラは自分の家から近いところによぉ、「下山芸術の森発電所美術館」によく行くがよ。今までアートとは縁がない人生やったがいど、ここ数年は「地元にある何かを見ていこう」と思ったがで、ここ5年ぐらいは発電所美術館の個展は毎回足を運ぶようにしとんがやね。

今月の22日まで開催している藤原隆洋さんの個展やけど、これは驚いたがやね。「霧」とか「風」とかの自然にあるものを物質を組み合わせて表現されていくがいど、実際に足運んだら、ただ作品を見ておしまいやなくて、全体の雰囲気からして飲まれるし、目が慣れていくうちに違うものに見えてくるような感覚になるがやね…。

上の霧を表現した作品ちゃ、約1万本の糸が絡まないように吊るすがで、ものすごい工程で作られた作品ながやね。

発電所美術館ちゃ、そういう苦労を積み重ねた上でよぉ、オラに「非現実的な美術体験」をさせてくださるアーティストさん達には感謝しとるちゃ。日々鍛えられた技術力や構成力、創造力を研ぎ澄ませて作らっしゃるアーティストの方々には、リスペクトを感じるものながいちゃね。それにアーティストさんたちも発電所美術館が気に入って、この構造物と格闘しにきとるがで、まあオラは楽しいちゃね。

何人かのアーティストさんとも話させてもらったことあるがいど、面白い人多いがで結構刺激受けるちゃ。日常的にアートを楽しむことがないオラにとっては、分野が異なる方々と話するのは勉強になることも多くて、本当にいつもいい体験させていただいとるちゃ。

アート界隈はいろんな話は聞くし、アーティストさんもお客さんも変わった方が多かったりするし、たまに「アレ?」と思うような作品もあったりするし、実際禍々しい話もあったりするがいど、まあ現代アートも良いものやちゃ。

目次

タピオカアート

去年の9月に話題になっていたタピオカの風刺アートのことやけど、結構面白い作品やと思ったがやね。

今、下山でやっている個展が「1万本の糸と光の当て方で霧を作る」というのをやっているのと同様に、現代アートちゃ、日常的なものを使って表現することが多いもんやから、タピオカアートは「飲み残したミルクティで絵を描く」のは、オラは素直に「ユニークな発想」やと思ったがやね。それにミルクティの限られた配色で顔を描いては、液が乾いた跡を表現しとるし、クオリティ高い作品やちゃね。

「捨てるまでがタピ活」みんなで考えたい“タピオカごみ問題” 
https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/what-do-we-do-with-tapioka-gomi

現代で起きていることを表現することに、現代美術の醍醐味があるちゃね。美術だけやなくて、世界のあらゆる音楽にしても、現実に起きている何かを表現しととるか、現実をヒントに何かを表現するしのう。今どきの漫画・アニメも現実に起きている何かをヒントにして、あらゆることを表現しとるもんであるちゃ。

不可解な炎上

しっかし、あの絵が炎上したのを知ったときは、ちょっとびっくりしたのう。

タピオカミルクティーの飲み残しをアートにした作品にフェミが勝手に女叩きだと断定して作者叩きに来る – Togetter https://togetter.com/li/1404422 @togetter_jpさんから

あの絵で人がどう思うのかとか、別に人それぞれでいいと思うがやけど、別に有名人がやったようなこともなければ、アマチュアのアーティストがやったことで、発狂してしまう意味が分からんかったからやちゃ。

おかしいと思う理由は以下で記しておくちゃ。

理解できない理由1 あくまでも作者の主観。尊厳は守られるべき

正直言ってしまうと、批判内容が雑過ぎて、話にならんがやね。

まず、これを女叩きと断定している人は、思い込みが激しすぎるちゃ。思ったことを否定するわけやないがやけど、根本的に美術というは「見る側によって印象が異なる」ものであって、客観的に「女叩き」と言い切れるほどのものとは言えんのう。

タピオカミルクティーを飲んでいる女性でも、ちゃんと飲み干す女性には当てはまらんがやけど、なぜか「女性全体を叩かれた」と思っている人は、相当やばい思考回路しとるのう。誰から見ても「タピオカアートは女性蔑視だ」と納得できるようなエビデンスがあれば良いがやけど、実際は自分の思い込みで突っ走っているのが大半やなかろうか?

それとも自分もタピオカミルクティーを残して捨てているから、怒っているがでしょうか?

これは他の食べ物についても同じことは言えるやろう。ただ作者さんが見てきた中では「タピオカ」であって、それが題材になっただけやちゃね。あくまでも作者の主観であるし、作者が自由に制作したものやし、この方の作品とか誰から指示されて作るようなもんやないし、こういうのは「彼女はこういう考えながですね」…で済む話やったりするちゃね。

アーティスト自身の技術面とか、法的根拠をつなげて議論するならありかと思っとるがいど、作品の意図やそれぞれの感じ方の違いで、顔を真っ赤にして怒るのとか「自分で創造して表現する」というアーティストの本質を否定するものやなかろうか。

作者も批判する人も、どっちも主観に過ぎんがやけど、主観的な作品を勝手な解釈して、あたかも「世の中の女性全体への侮辱だ」みたいに説教しているのはダサいと思うし、そもそも現代アートを含む創造物に対して、向き合うメンタリティが仕上がっていないかと思うちゃ。せめて「こう作ってくれた方が良かったなあ…」なら理解できるとこやけど。

感じ方は人それぞれで良いがやけど、アーティストの尊厳に触れる部分においては、しっかり抵抗しとかんと、現代アートのみならず、漫画・アニメ・ドラマ・音楽といったあらゆる表現で生きている人達を阻害することになるやろう。

解できない理由2 作品にツイートで噛み付くのがダサい

サッカーファンの立場からしちゃ、プロのサッカー選手に対しちゃ、みなさん「凄いことやっている」存在ながいちゃね。「足でボールを操る」といったことなんて、素人が簡単にできるようなことやないし、「1試合10kmくらい走る」体力づくりも本当に凄いと思ってたりすんがやね。

時々好き勝手に言いたくなることはあるがいど、まあ物事を批評する以前に「自分にはできない」という前提の元、発言していかないといけないと感じるちゃね。みなさん熱くなって「決めんかい!」「そこ何ミスしとんがよ!」とか言ってしまったりするがいど、まあ自分のことのように応援しとったりしたら、そりゃ強く言ってしまうことは仕方ないやろう。ただ、批判している対象が「並大抵の努力を積み重ねて、素人にはできないこと」をやっとるのは違いないちゃ。

…とそう考えてたら、タピオカアートでムキになっている人達ちゃ、本当に「うわぁ…」とか思ったりするもんながいちゃ。

ほんじゃって、作者さんは磨かれた感性と技術で表現されとる作品に対して、まともに絵も描けるのかどうかすら怪しい人達がよぉ、アカウントさえ取っていれば「誰でもできる」リプライで直接作者のツイートに噛み付いているのはダサい行為やと思うがやね。

ましてやタピオカで生計を立てているような人でもないやろうしね。この絵が出てきたところで、タピオカブームが無くなる可能性自体は低いやろうし、そんな女子大生の行動一つで世の中も簡単に変わるわけでもないやろう。

https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1238843145594359814

上のツイートにリツイートもいいねも多いがやけど、これは恥ずかしくないかのう?

そう思った人が自分で描けばいい

ただそれだけながやね。タピオカアートが気に入らんがなら、ツイートで噛み付くんやなくて、同じ土俵で勝負すればいいだけながいちゃ。「タピオカアートの人、チャンスです」とか言ったところで、それは自分で「私は絵を上手に描けないから、タピオカアートの方にやってほしい」と言うも同然ながやね。

逆に「下手でも自分で描いた方が良い」と言えるちゃね。

仮に良いものができんかったとしても、挑戦したことには価値はあるやろう。その代わり下手やったら「この程度のものしか描けないのか?」とか言われてしまう可能性はあるがいど、挑戦しないよりはマシやにか。

技術も創造力もない人達こそ、Twitterでうるさくなる傾向はあるがいど、それは「負け犬の遠吠え」も同然かなと思うがやね。「表現する側」と「ツイートで噛み付く側」やと、結局常人にはできないことをやってる「表現する側」の方が圧倒的に偉いしのう。

『週刊少年ジャンプ』でフェミニズム漫画やったら日本の人権感覚変わっていけると思うし「世界を変えれる可能性を持ってると思う」 – Togetter https://togetter.com/li/1426068 @togetter_jpさんから

「ジャンプにフェミニズムの漫画があればいい」と言うのも話題になっとったがいど、あれも「ならそう思ったが自分が原作者として売込めばいいのでは?」と思うがやし、同じ土俵で勝負する方向でやっていりゃ、おそらくフェミニズムにとっても良いことかと思うがやね。

海外ではジェンダーをテーマとした作品を作らっしゃる方々もおられるがいど、そういうのが日本でも活発になりゃいいかと思うし、フェミニストの方々も応援されていく方が、理解は広まるかと思うちゃね。クレームだけ言ったところで、何も生み出さん人にはあまり好意的に見てくれんちゃ。

それに自分が作れなくても、クレームにリツイートするよりは、実際に表現されたものをリツイートされた方が建設的やしのう。それが良いものやったら、思想は関係なく、第三者にも広がっていくに違いないちゃ。

しかし、これにRTもいいねも少ないのは、本当にフェミニストながでしょうか?

日本のフェミニスト達は、誰かに口を出していくことよりも、自分達で何かを作ることも考えていくべきかと思うのう。

理解できない理由3 不快感で宣伝してる

これは最近よく言っていることやから、今更説明するのもどうかと思うがやけど、「反応している時点で宣伝しているも同然」ということやね。あらゆるツイートを見て思うのは、このあたりのことを全く考慮しないで、脊髄反射的な反応かと思えるがよ。

あわせて読みたい
フェミニストは少し静かにするべきやちゃね 【140字以内で矛盾を表現するフェミニスト】 このツイートに矛盾が存在するちゃね。 https://twitter.com/katepanda2/status/1232172658671833091 https://twitter.com/...

タピオカアートはインパクトのある作品やと思うがいど、オラがタピオカアートの存在を知ったのは炎上がきっかけながで、燃えなかったら今も知らなかったかもしれんちゃ。

「素晴らしい」にしても「女性蔑視だ!」にしても、結局どっちにしても共通しているのは「引用ツイートしている」ことには変わらんがやね。引用してツイートしたら、情報を受け取った側はどちらにしても「引用されたツイートを見る」わけやけど、不特定多数に見てもらうわけやから、必ずしも同意するとは限らんがよ。

第三者からしたら「どちらにしても拡散している」ことには変わらんちゃね。実質宣伝ながよ。

…と考えた場合、引用しないで自分の文章力で批判したほうがいいがやけど、その辺りの表現力が乏しいのか知らんがやけど、安易に引用する手法を取ってしまうがやね。

意見を言う側の人間としては、見てくれる人が「女性蔑視だ!」と全員に共感してもらえるつもりでおるかもしれんがやけど、もし他の人が「これ素晴らしい作品やちゃね!」という反応になった場合は、批判した人間そのものが「女性蔑視を宣伝した」ことになってしまうがよ。

作品自体が知られて「賛否」を問われるものやけど、作品自体が知られんかったら「ニュートラル」ながやね。

よく「好きの反対は無関心」とも言われるがいど、同時に「嫌いな反対も無関心」と言えるちゃ。

クオリティが高い作品やと思うし、実際に共感を覚える人は多いかもしれんがやけど、「賛否」に分かれてあーだこーだ言われるよりも「誰も反応しない」方が広がらんのは事実やろう。変に反応しない方が不特定多数に見られることはないちゃ。結局「あなたも拡散しとるやないけ?」で突っ込まれたら言い返せないやろうから、ときには「黙っていた方がマシ」ということもあるちゃね。

都合が悪い意見を言われて無視するのと同じように、嫌いな表現も無視した方が作品自体は認知されないもんやちゃね。

SNSユーザーの底の浅さと脊髄反射からアーティストは守るべき

最後に締めておきたいことやけど、フェミニストが「作品を燃やす」というのは、オラは結構納得しとるがやね。

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タピオカアートの件とかそうながいど、噛み付いている人達の言うとおりにしていったら、世の中は「均質化」の一方をたどるだけで、作者自身のキャラクターまでも平凡なものになってしまうんやないかのう。人間の考え方も深みがなくなってしまうがやし、あらゆることが脊髄反射的に言ってしまう人に合わせていかないといけんがになってしまうがよ。

相互フォローになっとるアメリカ在住のアーティストの新宅さんのツイートを見て「ハッ」と思ったがやけど、確かにインターネットの議論というのちゃ、どこへ行っても「○か✕か」みたいなのがばっかしで、非常に浅い議論が多いがやね。特に議論のやり方を教育であまり取り入れていなかった日本やと、こういう傾向がよく見られて、大学教授くらいの人でもヤバいのが見られたりするもんやね。

議論には「自分が話す」ことと同じ程度で「相手の話も聞く」というのが大切やけど、インターネットやと圧倒的に「言いたがり」が多いがで、相手の話を聞くのが上手な人間のほうが少ないがよ。こうなってくると、どちらも言いたいことばっかり言うだけになって、コミュニケーションらしいコミュニケーションが成立しなくなるわけやちゃ。

正直言って、こういうのはまともに付き合わん方がいいやろう。

目の前にある情報に対して、センサーのように反応するだけやし、浅い情報だけで世の中の常識を大きく語ってしまうような人間になってしまうからのう。本当に貴重な情報とか、カネを出さないと手に入らなかったりするし、時には外国語の習得も求められることもあって、それで世界の広さを感じたりするもんやけど、そこまで至らない人間は「見えたものだけで常識を語る」がで、こういう浅いのには「どんな表現物を作る」以前に、コミュニケーション自体も難しくなってしまうちゃね。

自分でフェミニストを名乗って、フェミニストのアーティストさんの個展に足を運んだり、情報を追ったりするわけやないやろうし、ただTwitterで話題になっているエッチな画像を見て、縄張りに侵入してきたのに吠える犬のように激しく怒り出すだけながやね。別にフェミニストに限った話やないがやけど、Twitterはこういうの多いしのう。

ストーンズもアウトになる

もっと視野を広くすれば、半世紀にまたがってたくさんの卑猥な曲を作ってきとるローリング・ストーンズも発禁にしないと筋が通らないと気づくやろうけど、英語もちゃんと理解していない方々が騒いでしまっているがでしょう。「どんな女も俺の言いなり」と歌う「Under My Thumb」は完全にミソジニーでアウトながいど、ミック・ジャガーは「実在した女性を歌っていない。あくまで風刺として書いた」と言ったがやね。

まあ同じ風刺で描いたタピオカアートも「Under My Thumb」みたいなものながいちゃ。

誰よりも努力を積み重ねてきた人間、誰よりも才能に恵まれた人間は、そんな愚かな人達に潰されるようなことはあってはならないとはオラは思うのう。

作者さんはこれを見ているのかどうか分からんがやけど、一人の現代アートファンとしては、元気にいろんな絵を描けるようになってもらいたいと思うちゃね。お金あったらタピオカアート買ってもいいと思ったくらいやしのう。

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