旭日旗の是非以前に「政治バカ」の排除を優先すべきやちゃ

五輪での旭日旗の掲揚に関して、いろいろ話題になっとるちゃね。

五輪、旭日旗の持ち込み禁止せず 韓国側の決議に組織委が方針 | 2019/9/3 – 共同通信 https://this.kiji.is/541527294797661281?c=39550187727945729

目次

いろんな意見があるちゃね

賛成派
・旭日旗に政治的意図はないちゃ
・過去に使っているにか。奇誠庸の件から始まったことやちゃ
・スポーツでは激励の意味で使われとるじゃ
・FIFAで禁止されてないちゃ

反対派
・韓国など東アジアでは軍国主義の象徴やちゃ
・奇誠庸以前に昔から忌避されとるにか
・スポーツに限らず、相手を威圧するために使うものやにか
・FIFAで禁止されているちゃ

Twitterで見解が別れとるちゃね。立場も経験も人それぞれやし、そんだけ見方はあるやろう。

オラとしてはこれに関しては、何が正解とか決めるつもりはなくて、判断材料自体がそんなに多くない印象は強いちゃね。賛成側にとっちゃ、嫌韓デモとか街宣車がやたら使ったりするのがゲンナリするしよぉ、反対している側にしても「戦時中や自衛隊で使用している旭日旗」ならまだしも「旭日旗を想起するデザイン」まで批判対象を広げているところとか、逆に問題を曖昧にしとるのは感じられるとこながで、どっちにしても落とし所をどこに決めるのか…というのが無いがやから、収拾はつかないと思えるちゃね。

批判するがにしても、天井のデザインやカニのイラストまでイチャモンつけるようやったら、キリがないしダラに見えるだけながで、こういうのは線引をして、主張を明確化せんと、議論にもならんかと感じるがやね…。まだ「軍旗だから」の方が批判理由としては、想起するものやから漁師の大漁旗を取り上げるとこまで行ったら、さすがにやりすぎやろう。

要は解決志向で考えるわけやなくて、どこまでを受け入れるかなどを設定するのは抜きでよぉ、一方的に押し切ろうとするがで、自分たちの主張でさえ曖昧なものになるんかと感じられたりすんがやね…。

まあ、極右の人が積極的に使うのもオラは嫌ながいど、どっちも似たようなもんかと思うちゃ。

オラ個人の経験を踏まえて思うことやちゃ

この問題はよくサッカーにでもあった話やけど、正直面倒くさいもんやのう。オラとしちゃ、いろんな見解があって、それはそれで個人が思っていることを否定することもないがやけど、ここまで正反対やと、旭日旗自体に是非を出すのは難しいとは感じるちゃね。

https://twitter.com/Ryang_Fang4/status/1169473768793620480

ただ、一人のサッカーファンとしての視点として言うならば、今から10年前までは揉めた印象はなくて、代表でもACLでも見られたものながで、やっぱしよく言われている「奇誠庸の発言」が起点となっている印象は強く感じられるとこではあるちゃね。あと、学生時代に韓国の留学生や在日韓国人ともアルバイトの同僚とか遊び仲間でおって、今も繋がっている人はおるがいど、「ボク個人は差別的とは思わん」「これは反日教育で刷り込まれたもんやちゃ」「確かに嫌う人は嫌うがいど、それを韓国世論の全てやない。気をつけた方が良いと思うがいど…」など聞いたりしとるがで、報道からやと見えない彼らの見解というのがあるもんやと感じられるちゃね。

ほんじゃから、旭日旗の賛否はともかくとして、いわゆる「活動家が工作したことで分断された」印象が強くて、2010年以前のサッカー界の状況からしたら、好き嫌いはあっても「政治とスポーツで一定の線引をしている」としてたと感じたりするちゃね。

まあ人それぞれが思っていることでお任せしますちゃ。

是非を保留して余計な論争を収束する方向にせんまいけ?

ただ、これで騒がれとるのは本当にダラな話やと思うがいちゃ。

スポーツにおいてよぉ、一番引き立てられんといけないのちゃ、そこで活躍されているアスリートの方々ながいちゃ。そういうのを考えたら、アスリートの活躍を放っておいてまで、スポーツの場で旭日旗の是非を語ること自体が、邪魔くさいとしか言いようがないがいちゃ。主役であるアスリートへのリスペクトがなっていないからのう。

スポーツに限らず、こないだの「あいちトリエンナーレ」の件でもそうながいど、元々は政治的に中立であって、そういうのを抜きにして楽しめるようなものに、政治ネタをぶっこんで炎上させる人ちゃ、もはやジャンルを壊しに来とるとしか思えんがいちゃね。スポーツにしても芸術にしても「政治性」とは決して切り離せるようなもんやないがやけど、そういう壁を超えてしまうものであるという視点が欠けているがやろう。要は物事を多角的に考えられんがいちゃ。

是非よりも理由付けの方が重要やろう

以前、ACLの「水原-川崎」でも旭日旗が出たことで騒動になったことがあったがいど、これは非常に面倒くさくて、正直「スポーツに理解がない政治バカは引っ込んでくれんけ?」と思っとったがいちゃ。ろくに鍛えてもいないピッチ外のことよりも、あらゆるものを節制して競技に賭けているピッチ内でのお話を中心にあるべきやろう。これは競技者へのリスペクトの問題やちゃね。

ただ、どうしようもない人はやっぱしおるもんで、スポーツにしても芸術にしても「政治」と結びつかないとロクに話もできんような人ちゃ、やっぱし引っ込んでもらうことを軸に論議をしていくのも大切かと思うちゃね。

まあ旭日旗をアリにしてもナシにしても、どっちにしても不満は燻り続けるやろうし、これといった落とし所はないのは否定しようがないがやけど、アスリートが主役である以上、旭日旗の是非は保留しといて「バカは引っ込んでもらう」ルールづくりは、今は必要なのかもしれんと感じるちゃね。

スポーツは思想を超えるものやちゃ

最後にやけど、スポーツというのはやっぱし良いものながいちゃ。決して人数が多いとはいえないカターレのサポーターにしても、思想はいろいろやし、ツイート見とると真っ向から反対の人もおって、彼らはこういうのでぶつかり合わない方が良いかと感じるのは見えたりするちゃね。

https://twitter.com/kanenooto7248/status/1168814434535391232?s=20

ただ、そういう思想の違いがあってもよぉ、同じスポーツ、同じチームを楽しめるのちゃ、やっぱし良いものではあるちゃね。これは芸術にしてもそうやし、漫画やアニメの話でもそうやろう。メディアで日韓対立を煽られていてもよぉ、実際に日韓のオタクが仲良くしていたりするがやから、政治的な影響やメディアの煽りとか、ジャンルを楽しむ個人個人としちゃ、普段どおりでそれぞれ楽しんで、特別何かをせんならんというわけでもないやろう。

スポーツはラテン語の「des-port」というとこから来て、「port」は居場所で、「des」は否定形ながで、これは「居場所から離れる」、すなわち「日常から離れる」というところにあるがいちゃ。今日、スポーツやあらゆるジャンルが発展していくのちゃ、そういう人々の思想の壁を超えて「好きな人が集まる」というところに尽きるがで、それぞれが楽しむために「判断を保留する」という考え方は大切やと思うちゃ。

逆にスポーツの動員性を利用する人はおるがいど、総じて「工作員」として扱ってもいいやろう。全力で排除してもいいかと思うちゃ。どうしても政治的な思想とスポーツを切り離せんくて、こじらせてしまうような人は、スポーツから離れた方が良いやろう。

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